小幡城
小幡城([小高城 周辺城郭])
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小幡城の口コミ情報
2026年05月14日 マグロ常陸介祐平
桓武平氏大掾氏流玉造氏の一族とされる小幡氏のお城で、観音寺付近が城址となります。少々難解なお城の石碑(写真5枚目)によると、鎌倉時代の中期に玉造城主景政の子の辰幹がこの地に住み館を構え幹知、幹正と続き、寛正5年(1464年)に玉造正重が小幡城を完成させ、正忠六郎に渡したとしています。その後は勝幹、正幹、正辰と続いたようです。築城者の正重など玉造氏の系図では確認できませんが、周辺には手賀氏や鳥名木氏など玉造氏の分流が多く、玉造氏の一族ということは史実に近い伝承かもしれません。住職さんのお話では、佐竹氏による南方三十三館の仕置により小幡城も滅亡したのではないかとのことでした。
観音寺(写真1枚目)の本堂が1郭、北側に隣接する元小学校のゲートボール場が2郭、南側の仁王門から墓地付近が3郭となります。本堂裏の1郭と2郭の間には高さのある土塁が見られ東側に折れています。土塁には虎口が開口していますが(写真4枚目)、住職さんのお話では、参道を通学路にしていた際に削った可能性があるとのことでした。本堂手前の土壇上の鐘楼(写真2枚目)は東側に折れた土塁(写真3枚目)の延長上にあり、櫓台の跡かもしれません。3郭はぐるりと直線の方形の土塁が囲んでいます(写真6~8枚目)。2郭の空堀は小学校を建設の為に埋められたとありますが、3郭の土塁には空堀が伴っておらず、後世寺院のものとして築かれた可能性を感じました。また、長い直線の参道は馬場として使用され、昭和30年代までは馬を走られる行事が行われていたとのことでした。
観音寺は、大同3年(808年)の創建とされ、文応元年(1260年)に律宗の高僧忍性が中興となり地頭の小幡大炊助相正が堂宇を建立したと伝わります。14世紀末の如意輪観音像は県の文化財(非公開)、市の文化財として大椎木や阿弥陀図(非公開)、現在解体修復中の仁王門があり、寺院としても見応えがあります。お寺はよく整備されていますが、この20年で檀家さんが20軒も減り、広いお寺の維持管理は大変なようです。当日も住職さんは殺虫剤の散布に大忙しのようでした。









