谷中城
谷中城([富谷城 周辺城郭])
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谷中城の口コミ情報
2025年04月10日 マグロ常陸介祐平
谷中氏の居城です。益子氏と笠間氏の攻防では、谷中玄蕃允親子は橋本城に詰めたようです。その後谷中氏は、水谷蟠龍斎(正村)の家臣となったようです。
桜川市総合運動公園の東の山が城址となります。公園の駐車場に車を停め、Googleマップに「カリオン」と位置登録されている鐘の付いた塔(写真6枚目)の脇から山頂部を目指して登城しました(山の東側にある公民館付近から入るのが正解のようですが)。100m✕50m程の楕円形の単郭のお城で、周囲を空堀が囲んでいます。空堀は埋まってしまったのか、かなり薄めで、東側は帯郭のように感じられる程です(写真1~5枚目)。郭内も南北がやや高く中央部が低い削平の甘い状態です。山として傾斜が緩やかで、南東側のみ崖となっていますが、お城は崖の縁に沿っているわけではありません。南西側の麓に居館となっており(今回未確認、先人様がお城全体を口コミされています)、簡易的な詰城だったと思われます。
お城のすぐそばの薮の中に、生活感のある小型のテントがあり、現代の城主様がお住まいの様でした。
2021年05月09日 龍馬備中守【】
茨城県の桜川市にある谷中城♪橋本城と街道と桜川を挟む形で対面☆標高109mの山上に独地した城郭は別名を谷中館とも牙城(山上部)とも呼びます☆館跡は麓部の民家がある辺りにあって現在は土塁、郭等が残ってます☆山上の牙城は周囲を横堀で囲む単郭構造になっています☆周囲の横堀はかなり埋没してしまっています☆掘り幅は6、7mあり往時はもっと深かった事でしょう♪
この城郭は地元の土豪・谷中氏の城郭となっています♪戦国時代には笠間氏と益子氏のバトルの地になっていて谷中氏は笠間氏側に付いていて橋本城の城主も務めています☆
両者が激突した際の「富谷合戦」では笠間氏の軍勢が入った場所に「諏訪の峰」と言う名前が登場しますがそれがココ谷中城と思われます☆笠間氏が滅亡し、その後、宇都宮氏も滅亡し廃城になりました☆