村田館
村田館([海老ヶ島城 周辺城郭])
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村田館の口コミ情報
2025年10月16日 マグロ常陸介祐平
四保氏が四保城に移る前の居館とされます。四保城に移ったあとは、出城として用いられたとされています。四保氏は関城の関氏同様、小山氏か結城氏の一族と思われます(小山朝政の曾孫政村(朝村)を祖とする説もあるようです。)。四保城に移った四保氏が、村田四保入道と名乗っていることから、村田館に居住していた時代は、村田を名乗っていたのかもしれません。登録城である宮城県の「船岡城」は、別名「四保館」と呼ばれ、藤姓の四保氏が城主とされることから、こちらの繋がりがあるのかもしれません。留守文書に元亨4年(1324年)に留守氏から四保氏に嫁いだ記録があるようですので、鎌倉時代には奥州に移った一族がいた可能性があります。陸奥の四保氏は後に柴田と名字を変え、伊達氏の有力家臣となっています(陸奥の塩竈社家のサイト参照)。
お城は、戦後まで遺構が残り、方形単郭の居館タイプだったようですが、現在畑や田んぼとなっており、はっきりした遺構は見られません。田んぼよりも一段高い畑が居館残り跡のようです。また、用水路は堀跡かもしれません。