北条城
北条城([多気城 周辺城郭])
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北条城の口コミ情報
2025年08月13日 マグロ常陸介祐平
小田氏の一族、北条氏の居城と伝わります。北条氏は八田知家の七男の高野伊賀守時家の孫の北条伊賀守知員を初代とし、戦国期の治高まで続いたとされています。東国闘戦見聞私記によると、元亀3年(1572年)小田氏から離反した北条治高は、佐竹氏の家臣となった太田資正らと小田城を攻めとったとしています。その後治高は小田氏の偏諱を捨て氏高と改名しますが、天正2年に小田氏の家臣菅谷政貞に敗れ討死したとされています。高野山清浄心院常陸供養帳に、天正12年に北条筑前守の息女の戒名が見られ、大子町の愛宕神社の天正13年の棟札に佐竹義宣と共に寄進者のひとりとして北条伊賀守の名が見られるとの事なので、別系統の北条氏かもしれませんが、北条氏はその後も存続し佐竹氏に従っていた可能性もあるようです。また、北条城は真壁氏の傘下となった際に、真壁氏の陣代として大沢氏が城主になったとする説もあるようです。多気城の麓に建つ宝安寺(写真8枚目)は、真壁にある伝正寺の僧が開山、大沢安房守重房が開基と伝わります。
お城は、平成30年に廃校となった北条小学校付近とされています。はっきりとした遺構は見られませんが、独立した台地にあり、南側には稲荷神社のある腰郭状の削平地となっており、城郭的な雰囲気は感じられます。昭和に行われた発掘調査では、堀が確認されていますが、城館に関するものかは不明のようです。