北条陣屋

北条陣屋([多気城  周辺城郭])

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北条陣屋の口コミ情報

2025年08月12日 マグロ常陸介祐平


常陸北条藩の陣屋となります。織田氏家臣の佐久間盛次の4男佐久間勝之は、初め叔父の柴田勝家の養子となり、後に佐々成政の娘を娶り成政の養子になりますが、成政が秀吉に敗れると妻を離縁して小田原北条氏の家臣となり、北条氏滅亡後は潜伏期間を経て秀吉に召し出され、蒲生氏郷の寄騎となり、佐久間に姓を戻します。氏郷が亡くなると秀吉の元に戻ります。関ヶ原では東軍につき、慶長12年に北条に3000石を加増されて1万石となり北条藩を立藩、北条の地に陣屋を置いたとされています。江戸定府の為、藩主が常駐することは無かったようです。元和元年(1615年)、大坂の陣の戦功により8000石を加増され、秀吉からもらうはずだった信濃長沼に移封し、一旦陣屋は廃されます。佐久間勝之は知名度は低いですが、なかなかの経歴です。

その後、北条の地は堀田正盛の知行地となり、正盛が将軍家光に殉死すると4男正英が北条の地を分知されて5000石の旗本となります。この時点で、陣屋が築かれたかは不明ですが、その後加増を重ね、若年寄に任じられた翌年の天和2年(1682年)に1万3000石となり北条藩を立藩しています。貞享5年(1688年)に正英が亡くなると遺領は3人の子に分知され大名の地位を失い、相続のトラブル?により長男正親分8000石は公収されるも、北条の地は3男正章に引き継がれ、陣屋も何らかの形で残ったとされるようです。

陣屋は、多気城のすぐ下、つくば市指定史跡の日向廃寺跡付近とされるようですが、遺構は見当たりません。現地に設置された説明板は廃寺のもので、京都の宇治平等院鳳凰堂に似た、左右に回廊をもつ阿弥陀堂建築が建っていたようです。その他、出土した瓦や廃寺を創建したと推測される多気氏に関する記述はありますが、陣屋にはふれていません。発掘調査では、陣屋としての遺構や遺物は検出されなかったのでしょうか。遺跡名としては「北条御陣屋遺跡」とされ、範囲は廃寺を指す「北条日向遺跡」と重なっていますが、大名陣屋で何も検出されないのは、なんとも不思議です。

陣屋跡の東側には、つくば市指定工芸品の毘沙門天種子板碑が見られます。

2021年02月12日 お太閤


日向廃寺跡は、江戸時代初期にあった北条藩の陣屋跡。
説明板には日向廃寺のみ記載されている。

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