玉取城
玉取城([小田城 周辺城郭])
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玉取城の口コミ情報
2025年08月09日 マグロ常陸介祐平
玉取城は、方穂故城から東に700m程に位置しています。城主としては、片穂(方穂)氏、八田氏、小田氏、別府氏、結城氏、佐藤氏が比定されているようです。暦応4年(1341年)の小田城攻めに際して、高師冬などの北朝軍の本陣が、玉取に敷かれたとあり、本城もしくは方穂故城が使用された可能性があるようです。
暦応4年の別府幸実着到状や康永3年の別府幸実軍忠状から別府氏が城主として比定されているようですが、北朝方で武蔵の別府氏(登録城の別府城が本拠)が一時的に在城しても、城主という感じではないように思われます。方穂(片穂)氏は、すぐそばの方穂故の城主とされ可能性があるように思えますが、後世の軍記物の東国闘戦見聞私記に元亀元年(1570年)結城氏との戦いにおいて小田方として大曽根の砦に籠った武士に玉取の佐藤勘左衛門、同勘七郎とあり、近くにある西方寺(写真6~8枚目)に古くからの墓がある佐藤氏の可能性が高いように感じられます。
遺構は、土塁の痕跡が民家の塀沿いと、その西側に僅かに見られる程度となっています(写真1~4枚目,5枚目は城域に建つ愛宕神社)。