長峰城
長峰城([龍ケ崎城 周辺城郭])
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長峰城の口コミ情報
2025年11月26日 マグロ常陸介祐平
築城時期については、出土した常滑産の陶器などから、15~16世紀であるとされ、江戸時代に土岐原氏や岡見氏の家臣を記した文書に、長峰民部が長峰村に住すとあることから、長峰氏が城主もしくは城代と推測されているようです。
平成8年と平成12~13年に発掘調査が行われ、築城の際に台地を約1m近く削平し、腰曲輪の平坦面を築くために相当量の土盛りを行うなど、大規模な土木工事を行っていることが確認されています。縄張り面では曲輪が7ヶ所、腰曲輪2ヶ所、堀5条、土塁跡3条、土橋跡3条、木橋跡3ヶ所、虎口跡10ヶ所と、建物では礎石建物1棟、掘立柱建物5棟、竪穴住居9軒が確認されています。
お城は、大部分が長峰東公園として整備されていますが、大規模な土木量のお城の割には明確な遺構は見られません。茨城県の中世城館の縄張り図と地形を見比べると、それほど違いは無いようですが、かなりぼんやりしている印象でした。
2022年06月22日 昌幸近江守更に吉
龍ケ崎市の長峰城。
土岐原氏(常陸土岐氏)に従っていた長峯民部という武士が長峯村に住んでいたという記述があり、長峯氏の居城だった可能性があるとのことです。
ニュータウン造成で宿(軍の駐屯地)は消滅し、中心部も長峰東公園となりましたが、発掘が行われ、城の面影を残す遺構もあります。
城の南側は県道5号(通称:潮来街道)が通り、龍ケ崎市内はこの街道に沿って城がいくつも普請されています。街道監視の役目も果たしていたのではないかと思われます。
先述のニュータウン造成&公園化で地名は白羽(しらはね)と変わりましたが、以前の地名は長峰町字竜ケ井。竜ケ井は要害が転訛したものとされます。地名からもお城があったと思わせますよね。
公園なのでもちろん駐車場あり。気軽に見学できます。
【写真の説明】
①物見から城の中心部を見る。
②東側の尾根の先端へ向かう。段をつけた郭が連なる。
③東側尾根先端の郭の土塁。
④谷向こうには登城山(とうじょうさん)城が見える。
⑤尾根に沿うように造られた腰郭。
⑥右の凸部は堀にせり出すようにある櫓台。左の3郭と繋がっていたらしい。
⑦主郭-3郭間の堀。主郭を守る堀らしく広く深い。
⑧主郭から2郭を見る。大きな堀に畝を残すという二重薬研堀のような遺構があったという。実物を見てみたかった。









