貝原塚城

貝原塚城([龍ケ崎城  周辺城郭])

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貝原塚城の口コミ情報

2026年07月30日 マグロ常陸介祐平


「土岐・岡見一族・旗下・家臣等覚書」に龍ケ崎城主土岐左衛門尉家中として、貝原塚城主師岡長門、「土岐氏旧臣帳」に木村兵右衛門の名前が見られます。

貝原塚城の城主とされる師岡長門は、江戸時代になると仙台藩の飛び地である龍ケ崎領で名主となっています。師岡長門の父は龍ケ崎城主土岐胤倫の家臣師岡筑前とされ、筑前の娘(長門の妹)のまさは、同じく名主の山戸土佐勝重に嫁ぎ、娘たけを産みます。山戸土佐が元和2年に罪をえて処刑されると、まさとたけは仙台藩の江戸藩邸に召し上げとなり、政宗の正室愛姫の侍女となります。後にたけは仙台藩2代藩主忠宗の側室となり、初代宮床伊達家の当主となる宗房を産んでいます。宗房の子の吉村は本家仙台藩の5代藩主となり、以降の仙台藩主は田村家から養子に入った11代斉義を含め、全て師岡筑前の子孫である吉村の血筋となっています。この地の無名な武士の血が仙台藩主に伝わるのは、歴史のロマンを感じます。

お城には先人様の口コミに従い、金剛院の墓地の先から、弓塚の大土塁を目指しました。結果としてはGoogleマップで位置登録されている弓塚までほんの数mのところまできたものの、薮が酷く入口が分からず、残念ながら退散しました。

気を取り直して、Googleマップに金剛院からは300m強北西に「貝原塚城本丸跡」として登録されている場所を目指しました。お寺側からは藪で進めず、ぐるりとまわって反対側の谷津側から登録場所に進みました。登録場所には遺構らしきは見当たらず、少し南側に土塁と空堀を発見、虎口や2重の堀も見られましが、曲輪を囲んでいる訳でもなさそうで、縄張りはよく分かりませんでした(写真3~8枚目)。薮城です。

金剛院(写真1枚目)は天元年間(978~983年)に創建された古刹で、弘長4年(1264年)の板碑(近くで橋として使用されていたもので化けもの石と呼ばれていた)や古い五輪塔が見られます(写真2枚目)。この地区は江戸時代寛永2年(1625年)になると、埼玉県の難波田城主難波田義銀の曾孫で旗本の難波田憲吉の知行地となり、金剛院は難波田氏の菩提所となっています。憲吉自体は大阪在番でこの地に居住したとは思えず、年代的にも微妙ではありますが、付近には陣屋があった可能性もあるように思われます。

2024年01月28日 ᴿᴱᴰ副将軍


迷路の様に巨大空堀を張り巡らせた激ヤブ城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代、築城主等の詳細不詳。
城主として小田氏直、小田氏家臣である貝原塚氏胤、龍ヶ崎城土岐氏の家臣である諸岡長門の名が伝わります。
元々は小田氏の属城でしたが、戦国末期に土岐氏がこの地を治めると土岐氏重臣の諸岡氏が入城した様です。

見所
金剛院の北西背後の二つの舌状台地に築かれています。
見所のひとつは金剛院北側の弓塚にある大土塁。土塁に向けて騎射の訓練を行なったとの伝承があります。写真⑦⑧
最大の見所が北西台地に残る深い空堀と土塁。折れが伴う横矢が至るところに掛けられ、堀内障壁などの仕掛けが迷路の様な堀底道に続きます。

写真は比較的ヤブが少ないものをチョイスしています。実際は弓塚、空堀のいずれも激ヤブなことから★4としました。冬期の訪城に限られます。

行き方は、金剛院を目標に設定。駐車場をお借りし、北西へと農道を進んで行きます。途中にやや木々が生い茂る箇所もありますが気にせず直進。右手に注意して進めば堀底道が見つかります。
弓塚の大土塁は、金剛院墓地から北の竹林の中にあります。

2023年03月14日 昌幸近江守更に吉


東の舌状台地は開墾により大部分が改変されましたが、そんな中でも「弓塚」と呼ばれる巨大土塁が残っています。ここは流鏑馬の的として兵馬調練をしていた場所と言われています。

さらにこの台地の東側は旧県道が通り、根古屋であったとされます。ここも舌状台地で、広義でとらえると実に3つの舌状台地が城域となり、本当に大きな城だったのだなと感じています。

【写真の説明】
①②弓塚
③根古屋
④根古屋から凹地を挟み、東の舌状台地を見る。金剛院は900年代に建立された天台宗の古刹。

2023年03月06日 昌幸近江守更に吉


貝原塚城は湿地に突き出た2本の舌状台地に築かれ、土岐原(常陸土岐氏)の本城である江戸崎城への街道沿いにありました。龍ケ崎城主土岐胤倫の家臣・諸岡長門が治めていました。諸岡長門は北条氏滅亡後に流浪の身となった胤倫にお供した忠義の士です。

遺構は西の舌状台地に集中しています。そして1990年代まで台地の半分が畑として使用されていたため縄張りの全容は分かりません。ですがそのマイナス面を補って余りある堀底道が素晴らしいです。堀がぶつかった所は非常に技巧的で
・段差を設ける。
・堀の入り口を狭め、行軍を鈍らせる。
・櫓台あるいは武者隠しを設置。
それはまるで横山光輝三国志で諸葛孔明が魏軍を谷に追い込み殲滅していく、そんなシーンを読んでいるかの感じでした。

文章や写真で魅せるのは非常に難しく、訪城してもらいたいのですが、ご覧の通り薮城(泣)。行く方をかなり選びます。強い気持ちを持った方は是非訪れてみてください!
※金剛院の駐車場に車を停めることができます。

【写真の説明】
①〜⑥堀底道
⑦櫓台
⑧奥にも土の盛り上がりがあるのが分かりますか?そこも櫓台。「ツイン櫓台」と命名しました(笑)。

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