大鹿城
大鹿城([高井城 周辺城郭])
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大鹿城の口コミ情報
2025年08月02日 マグロ常陸介祐平
大鹿氏のお城と伝わるようです。軍記物によると、大鹿太郎左衛門の守る大鹿城は、永禄4年(1561年)に小文間城主一色宮内少輔政良に攻められ城を奪われるも、稲城主高井直徳や柴崎城主荒木三河守に助けられ、一色氏を破るも太郎左衛門は討死し、城には高井氏の家臣の寺田氏が入ったとしているようです(多くの武将が登場する軍記物をはしょりました)。お城の記録は、古いものでも幕末で、明治や大正時代に書かれたものが多いようです。戦国期当時の記録には大鹿城も大鹿氏も表れないようですが、坂東市の坂東ゴルフクラブ内にある弓田城の城主の染谷氏の系図によると、叔母が小文間城主一色宮内政良に嫁ぎ、政良の娘と結婚したとされる染谷正康が、永禄4年に大鹿城を預かるとしているようですので、戦記物も根も葉もないものではないのかもしれません。
お城は、競輪場(楽天Kドリームスバンク)となっており、残念ながら遺構は残っていませんが、台地の先端に位置しており、立地的には城郭を築くには適した場所のように感じられます。昭和47年の調査によると、三方を谷津に囲まれた舌状台地に築かれ、東西約95m、南北約27.5~24mの長円形で、周囲を土塁がめぐり東南部に虎口があったとしています。
取手の地名は、大鹿城(砦)がもとになったとの説があるようです。