向石毛城
向石毛城([古間木城 周辺城郭])
古間木城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「向石毛城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
向石毛城の口コミ情報
2025年09月12日 マグロ常陸介祐平
城址に建つ巨大な石碑の説明文によると、向石毛城は3つの時期に分かれるようです。1つ目は豊田館として、平将門の本拠とする伝説的なお城です。2つ目は、常陸大掾平維幹の孫重幹の三男が、前九年の役の功績により康平5年(1062年)鎮守府副将軍に任じられ、豊田郷を賜り、豊田四郎将基と名乗り、豊田館跡に築いた城です。その後豊田氏は、宝治合戦(1245年)で三浦泰村に連座し、幕廷に勢力を失ったとされます。3つ目は、戦国期にこの地を支配した関館氏の一族館武蔵守の城です。永正年間(1504~21年)、時の城主館武蔵守宣重は向石毛城を改修し守りを堅めるも、天文年間(1532~55年)になると下妻の多賀谷氏に突如攻められ城は落城、武蔵守は自刃、子の播磨は外舅の古間木城主渡辺氏を頼って落ち延びます。佐竹氏が常陸を去ると播磨は先祖の菩提を弔うため、向石毛城跡に法輪寺をしたとのことです。
お城は台地と低地(当時は沼地)が入り組んだ地形を利用した、規模の大きなもので、法輪寺のある曲輪と西側の西館と呼ばれる舌状台地(写真7枚目)とは、200mにも及ぶ土塁と空堀で仕切られていたようです。現在お寺はキレイに整備され、先人様が写真を投稿された僅かに残っていた土塁は、消滅していました。
遺構は消滅してしまいましたが、石碑類は充実しており、全文読むのに時間を要します。