館沢館

館沢館([逆井城  周辺城郭])

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館沢館の口コミ情報

2024年06月11日 マグロ常陸介祐平


舘澤天満宮付近が館跡です。建築記念の石碑にある由緒沿革には、「高望王第五世の孫、平良文という位の高い方が、この地方を治める。後に村岡与五郎と改名。天慶二年(939)、陸奥守となり、鎮守府将軍を兼ねていた時に、澤の上に城郭をつくり舘澤といって、多勢の人々が出入りするようになった。その当時、崇拝されていた、菅原道眞公を祀ってた舘澤天満宮と稱して信仰させた。また、皮膚病の神として信仰され、山椒の樹を奉納する風習がある。」とあります。かなり怪しい伝承と感じましたが、こちらの地名は新地で、南東には古くから栄えたと思われる古墳群のある村岡地区があり、村岡良文の名字の地は熊谷でも藤沢でもないこの地が本命ではないかと妄想は膨らみます。(村岡から、移転した新しい土地という意味で「新地」の地名ができたと勝手に想定しました。)

隣接する弘徳寺は、相馬師常(千葉常胤の子で、法然の弟子)の子の相馬義清(信楽房)が自邸を道場としたのが寺の起こりと伝えられる古刹で、本堂裏には信楽房の墓(写真6枚目)があります。
信楽房(義清)は、相馬氏の系図には出てきませんが、親鸞の直接の弟子で浄土真宗では重要人物(善鸞絡み)の一人とされています。(厚木市飯山の弘徳寺も信楽房が開基)
自邸を道場にしたということですので、相馬氏に関連する館かもしれません(良文の所領が子孫に伝来した?義清は良文から9代目)。

遺構らしきは、舘澤天満宮の椎の巨木付近に堀切の痕跡(写真2枚目)が見られます。また、弘徳寺の参道横の用水路は、新しいもののように感じますが、折れの具合いが堀のようにも感じられます(写真5枚目)。

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