倚井の陣屋
倚井の陣屋([古河城 周辺城郭])
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倚井の陣屋の口コミ情報
2025年11月12日 マグロ常陸介祐平
別名を麦倉城とも石川城とも呼びます。石川信濃守源吉(風土記稿では石川権頭義俊)が明応元年(1492年)に太田庄北方倚井郷を麦倉と命名して、陣屋を築城し代々居住したと伝わります。永禄11年(1566年)石川勘解由左衛門俊重の守る倚井の陣屋は、北条方の羽生城主木戸相模守に攻められ落城しています。落城の際に家老鳥海多津儀と叔父将膳は、俊重の俊宗、俊行ら5人の子供を従え下野戸津根郷に亡命して難を逃れ、6年後の天正12年(1574年)に麦倉に戻り、開拓に努めたようです。
お城は、北川辺西小学校や浄水場となり遺構は残っていませんが(写真3枚目)、浄水場脇の水路(写真2枚目)は、堀の痕跡かもしれません。陣屋の石碑(写真1枚目)は、小学校の中にありますが、北川辺郷土資料館の方はご存知ではありませんでしたので、地元でもお城についてはあまり知られていないようです。
お城とは関係ありませんが、小学校の南西側には足尾鉱毒事件で有名な田中正造の墓があります(写真4~6枚目)。田中正造の墓は数が多く、生家そばや佐野厄除け大師など、私が参拝した場所で5箇所を数えます。









