根小屋城

根小屋城([黒羽城  周辺城郭])

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根小屋城の口コミ情報

2022年08月03日 天下主殿允直柔


城郭構造 平城
築城主  金丸肥前守資国
築城年  正平年間(1346~70)
主な城主 金丸氏
遺構   土塁
所在地  大田原市南金丸字根小屋
規模   1.5ha
【歴史】
 根小屋城は、南金丸の平地に築かれ南北に長い長方形の居館で那須神社の東約1キロ、竜花館(竜花とは、要害の訛り。金丸玄蕃頭の築城と伝えられる)の北側にある。
 西側から北側には高さ約4mの大規模な土塁があり、回りを水堀が水路となっている。東側は高い城塁があり裾部には水堀が水路となって残っている。
 南側は、相の川に接し周囲を土塁で囲まれた郭が見られ元々は本郭の一部であったと思われる。
 この城は、正平年間(1346~70)那須資藤の次男・資国がこの地を分地され金丸肥前守資国と名乗り築城したと言われており、資国は金丸氏を称し、金丸氏の祖となった。(那須の戦国時代 より)
 「日本城郭体系」や「栃木県の中世城館跡」ではその後、資国は応永年間(1394年〜1428年)に大関氏が白旗城に移った際に片田郷(市内の片田)亀山の地を与えられ、金丸氏も金丸氏要害(片田)を築城し居城としたため当城は廃城となったとあるが、「那須の戦国時代」では、資国の時に堅田郷(片田)を与えられ、堅田義隆(那須資隆の子)が築いた城を修築して移り住み、金丸氏代々の居城金丸氏要害を築いて移ったとある。
 1560年頃からは大関高増を中心とする上那須勢と那須資胤が対立し、1566年には佐竹氏が宇都宮氏と上那須勢と連携して那須資胤と戦い(治部内山の戦い)佐竹氏が敗北。
 この戦いで『那須記』では上那須勢の中に「金丸備前守」、那須軍の中には「金丸下総守」の名前が確認でき金丸氏は分裂していたようである。
 翌1567年佐竹氏は再び那須に侵攻(大崖山の戦い)この戦でも上那須勢は佐竹氏に味方しており、金丸氏が分裂している様子が伺える。
 1590年豊臣秀吉の小田原攻めの際、大関高増が秀吉に謁見し金丸氏を家臣として申し出たことで金丸氏の所領は大関氏の所領に組み込まれた。
 その後、関ヶ原の戦いでは大関氏から徳川家康に対し金丸資貞(資満)の妻を人質として江戸に出している。
 現在は、2軒の民家に土塁と堀が巡り水田と宅地に土塁の一部が残るだけで土塁は遠くからでもすぐ目に入るほど存在感がある。

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