平出城
平出城([飛山城 周辺城郭])
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平出城の口コミ情報
2025年03月09日 マグロ常陸介祐平
承元3年(1209年)に宇都宮朝綱の家臣の鈴木八郎重定が築城したと伝わります。鈴木氏は、宇都宮氏改易後に上平出村に帰農し、名主を務めており、慶長2年(1597年)の宇都宮氏の旧臣姓名書には、鈴木次郎兵衛の名前が見られます。また、同書には下平出村の郷間丹右衛門と平出弥助の名前も見られますが、両氏も平出城主とされており、わけが分かりません。郷間氏は、宇都宮記に宇都宮国綱が多気山城を築城した際に供奉した平出城主川馬(ごうま)主計として記載されており、平出氏は宇都宮氏の庶流で宇都宮泰貞の子孫とされ、天正13年に塩谷氏の川崎城が那須氏に攻められた際に、塩谷氏の旗下平出土佐守勝重が防戦したと宇都宮系図に記載されているようです。また、平出家には、宇都宮国綱が改易により宇喜多氏の預かりとなった際に、いち早く駆けつけた感謝状が伝わるようです。いったい誰が本当の城主でしょうか。
発掘調査では、土塁・堀・井戸・掘立柱建物などの遺構や、遺物としては中国産の青磁、白磁、土鍋、かわらけ、砥石、石臼、五輪塔などが出土したようです。
実際に目にすることが出来る遺構は少なく、御城の屋号をもつ御城工務店(社長さんの名字は上記の三姓ではない)の敷地の北東部分にL字型に土塁があり(写真2,4,5枚目)、その北側の中城の屋号を持つお宅に土塁に見えなくもない段差が見られる程度となっています(写真3枚目)。
お城に隣接する広琳寺は、紀伊の武士である鈴木八郎重定が、源義経を追ってこの地を訪れた際に宇都宮氏の家臣に捕まり家臣となり、開基したお寺で、多くの文化財が伝わっています(写真1,6,7枚目)。