【日野町の由来】
【日野町の由来】([宇都宮城 碑・説明板])
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【日野町の由来】の口コミ情報
2022年12月05日 まー刑部卿
『日野町は、二荒山神社の参道に面した門前町として民家が散在していたが、城が築かれてからは徐々に城下町としての様相が整えられて来た。
慶長三年(一五九八年)蒲生飛騨守秀行が宇都宮城主として入部してきた。時あたかも関ヶ原合戦(一六〇〇)を控え、関西は世情不穏であったので、蒲生氏の故郷である近江国蒲生郡日野(現在の滋賀県蒲生郡日野町)の商人達は、安全な関東に商売の道を求め、取り分け昔の恩顧により蒲生家を頼り、宇都宮の地に移り住んで来た。
秀行はこれらの商人達を廃寺となったばかりの東勝寺境内に住まわせ、御用商人に取り立てた。
日野の商人が移り住んだことから、商人町として発展する基礎ができ、城主が郷里の日野を偲んで『日野町』と命名した。
慶長六、七年(一六〇一〜二年)頃には町並みも整い、宇都宮の重要な位置にあったこともあり、商人町として賑わいをみせた。
『日野町の歴史』より』と書かれています。
宇都宮の軌跡【旧町名】の説明板はありませんでした。