八木岡城

八木岡城([桜町陣屋  周辺城郭])

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八木岡城の口コミ情報

2024年02月17日 昌幸近江守雪舟接収計画


八木岡城は飛山城・芳賀高俊の子、高房が鎌倉時代後期にこの地を領し築城したことが初まりです。この時に八木岡姓を名乗りました。

度々の争いに巻き込まれてきた八木岡城は、二度の落城を経験しています。
一度目は南北朝時代、南朝方の春日顕国により、二度目は戦国時代、結城家家臣・水谷正村によりです。宇都宮尚綱は奪還を試みましたが願い叶わず、以降は水谷氏の支配下となりました。

大きな縄張りだったのですが消失し、現在残っているのは城の一部分のようです。
北側に石碑と説明板があり、そこに駐車可能です。

【写真の説明】
①堀跡
②堀に土橋が架かっていたかも
③堀と櫓台
④別の堀跡。左側は段々に郭が連なる。
⑤主郭の堀跡。
⑥主郭から堀を挟み隣の郭を見る。
⑦隣の郭には五輪塔が点在し、うち一つ。
⑧切岸

2021年04月29日 龍馬備中守【】


栃木県の真岡市にある八木岡城☆この城郭は八木岡高房によって築城されたと伝わります☆
南北朝時代には南朝方の武将・春日顕時に攻められ一度目の落城を経験…。。
城中の惣領以下は一人残らず殺されてしまいます☆その後、春日軍は、益子城、上三川城、箕輪城、飛山城、宇都宮城へ攻め入り北朝軍を打ち破りました☆
戦国時代には下野への侵攻を企む【結城四天王の1人】水谷正村を阻止すべく往時の城主・八木岡貞家が水谷の軍勢を迎撃するも戦死しちゃいます☆これで二度目の落城☆当城、当エリアは水谷勢に制圧されちゃいました。

現在城郭は一部を残して消失しているのですが大土塁に空堀が残ってます☆平城な八木岡城なだけに起伏を付けたかったんでしょうね☆土塁が高いです☆看板もシッカリ設置されてますし駐車場も在ります☆直ぐに見れる城郭として凄く良かったです☆

2021年01月18日 疲れた人
車は城址案内板に寄せて止めました。普通車が二、三台寄せて詰めてギリギリいけそうです。

往時は大きな城郭だったようですが、農地となり削られてしまいました。それでも、現在、残っている遺構にぎゅっと見所が詰まっています。

堀底を歩いてみると、主郭の横堀は縄張り図で見るよりくっきりと折れており、想像以上に良くて、何回も行き来して楽しみました。櫓台下を回り込ませる虎口の辺りの土塁のもこもこやカーブ具合もたまらないです。
南には五行川が流れていますが、川の位置が昔とは変わっていて、本当はもっと城のこの辺を流れてたのかなとかなんとか、今はコンパクトになってしまった城をあちこち何周もしながら、果てしなく妄想してしまいます。五行川の対岸からからわざわざ眺めるのもとても良かったです。

地元の方のお手入れもありがたく、これ以上は削らずに(笑)ずっと残して欲しいお城です。

2020年12月25日 西方心徹斎道楽


築城年代は定かではないが永仁年間(1293年〜1298年)八木岡肥後守高房によって築かれたと云われる。 八木岡氏は芳賀氏11代芳賀高俊の四男高房が八木岡の東館に居住し、八木岡氏を名乗ったことに始まる。

南北朝時代には北朝方に属し、暦応2年・延元4年(1339年)南朝方の春日顕国によって八木岡城は攻略され、城柱の惣領以下一人残らず誅したという。

天文14年(1545年)八木岡貞家は常陸国下館城の水谷政村(蟠竜斎)と戦って下山和泉に殺され、翌天文15年(1546年)水谷氏に領地を奪われた。

比較的遺構が良好に残っておりますが、残念ながら主郭は完全にえぐりとられてます。

いずれにしても、是非リヤしてもらいたい城です。

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