神楽岡城

神楽岡城([西方城  周辺城郭])

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神楽岡城の口コミ情報

2025年04月14日 昌幸安芸守更に吉


栃木市の神楽岡城。東北道都賀西方PAの南にある独立台地の城です。

南北朝時代に西方氏が築き、戦国時代には皆川氏のものとなっていました。そして佐竹氏のバックアップを得た宇都宮国綱が攻め込んできます。応戦する皆川広照は諏訪山城(西方城の周辺城郭)まで出陣しますが、1万5千の大軍で押し寄せられてはなす術なく真名子城→布袋山城(両城とも同じく西方城の周辺城郭)→皆川城と撤退していきました。この時に神楽岡城も落城し宇都宮氏の手に渡ったと考えられています。

縄張りは台地全体を利用し、主郭と副郭に馬出しを備えています。南端の三宮神社は土塁で区切られており出郭とされることもあるようです。郭はひとつひとつがとても広く多くの兵が駐屯でき、また平坦でないのは先史時代の古墳があったからとのことです。

車は三宮神社の駐車場を利用することができます。帰りにもう一城行きたい時、インターが近く最適な神楽岡城、是非候補に入れてください。

【写真の説明】
①城域外から。土塁越しに見えるのが主郭
②主郭横堀1
③主郭横堀2
④主郭-副郭間の堀。経年浅化
⑤副郭土塁
⑥副郭横堀
⑦馬出し
⑧副郭と馬出しの堀

2020年12月20日 龍馬備中守【】


栃木県の都賀町にある神楽岡城♪南北に伸びる独立台地上の上に位置します☆

歴史は不明点が多くて西方城を築いた西方氏に属した城と伝わります☆西方氏の一族の藤平紀伊守泰隆の居城だったとされています☆南側にある三之宮神社も藤平紀伊守泰隆の勧進によるとされていて戦国時代末期には皆川広照の支配下にあったが布袋岡城と共に宇都宮国綱に攻め落とされています☆


【歩いてみて感じた事】
北側の主郭方面に向かうに連れて台地は高さを増していきます☆北側先端に主郭を構えた連郭式は周りを横堀(堀底道)で遮断☆副郭、三郭、四郭は主郭から伸びる横堀(堀底道)を廻してグルリと囲い込みます☆この副郭、三郭、四郭は同列に位置しているのですが、一段高い場所で主郭に近い部分が副郭だと思われます☆副郭の下、三郭の南側には同様に主郭から続く横堀がグルリと廻り、もう一つ独立した郭があります☆馬出し状で造られてはいるのですが郭の脇には出撃する動線は片方のみで、これは馬出しでは無く、あくまで南側から攻めて来た寄せ手に対して高い位置から射撃する為の踊り場と思われます☆見た目としては確かに馬出し状で表現するならば片馬出しという表現が良いかな〜?そんな造りをしています☆恐らく兵移動の動線と思われます☆更にこの独立した郭の南西側には大きな郭が配置されていてこの郭の輪郭部に土を盛った古墳群があります☆恐らく櫓台として使われていた物と思われ、この郭下にはもう一段、長い郭を持ちます☆下から這い上がってくる寄せ手をこの櫓台と思われる場所から狙い撃つ事ができます☆
大手か❓という印象を受けました☆ただし、三之宮神社の北東側にも城内への動線がありこちらを通ると副郭、三郭、四郭へ繋がる道がある☆ので…こちらが大手本命かな☆

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