二条城
二条城([西方城 周辺城郭])
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二条城の口コミ情報
2024年10月03日 昌幸近江守耳川の戦い
西方城から東に伸びる尾根、平野部を見渡せる所に築かれた二条城。
二条城という名は、「新城(にいじよう)」もしくは「御城(みじょう)」が変化したものとされます。戦国時代にはすでに西方城の出城として存在しており、慶長8年(1603)に藤田能登守信吉が西方を領し西方藩が成立すると、改修され陣屋が置かれました。しかし大阪の陣で失態を犯し慶長20年(1615)改易。二条城も廃城となってしまいます。
縄張りは主郭を数段の腰郭で囲んだ輪郭式で、それぞれ高い城壁で守られています。主郭は鉢巻石垣が普請され、また北西隅には櫓台も残っています。陣屋の施設が置かれたであろう広い郭が2箇所あります。また現在ゴルフ場との境界にあたる西側尾根伝いは、巨大な二重の堀切を掘って、遮断しています。北側斜面には堀を設けて敵の斜面移動を抑えています。折れを伴う虎ロも複数あり大変技巧的です。
西方城のおまけみたいな扱いでは本当に勿体無い!趣向が違う城ですので、二条城もしっかり楽しんでもらいたいです。
※西方城の駐車場の隣の沢を渡ったらもうそこは二条城です。アクセス良好♪
【写真の説明】
①開山不動尊の奥の見映えする虎口。大手口にあたるのかな。
②段差をつけた腰郭が連なり、ひと工夫凝らしている。
③主郭南側の腰郭
④笹薮で分かりづらいが西側の二重堀切
⑤ 高い土塁に囲まれた主郭東側。最終防衛線という気合いを感じる。
⑥主郭の鉢巻石垣
⑦内側も石で補強していたようだ。
⑧主郭櫓台
2022年08月02日 織田上総介晃司
最初に断わっておきますが京都の二条城ではなく栃木の二条城です。
西方城の駐車場からすぐ登城口があり、迷わず本丸までたどり着くことでしょう。
下野には珍しく石積を利用している。
西方城に来たら併せてリア攻めすべき城です。
2022年02月22日 RED副将軍
二条城といっても、栃木県のじゃない方の二条城です。
西方城のすぐ近くですが、こちらも必見です。
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。元々は西方城の支城であったとの説が有力です。小田原征伐後に西方領は結城秀康に与えられましたが、関ヶ原の戦い後に結城氏は越前国に移封。その代わりに、関ヶ原では上杉軍から徳川軍に鞍替えした藤田信吉が入封。西方城の南東側の標高150mの丘陵上に二条城として新城を築きました。しかし、大坂夏の陣で失態し改易。西方藩も廃藩となり廃城。
見所
主郭の東下は横堀状の曲輪で北側に虎口が開口しています。主郭切岸は高低差、鋭さともにかなりのもの。主郭を巡る土塁に関東では珍しい石積みが残りますが、訪城当日は発掘調査で本丸に立ち入りできず😿
行き方は、西方城を目指してください。西方城の駐車場からすぐです。
2021年04月22日 副将軍お城エリコ
西方城の南側に二条城が有りますが、鹿駆除の為今は、城跡に入る事が出来ません。
2020年12月19日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
栃木県の栃木市にある二条城♪西方城と山続きの南東側の尾根先に位置します♪
二条城が築かれた時代は不明ですが関東には珍しい石積みが残る城郭で近世時代に入り使用されていたという事と見て取れます☆
ただし、元々はその場所に合った?西方城の支城、別城と言うよりは距離を見た時に西方城の一部だと感じました♪
それを関ヶ原の合戦後に入城した藤田信吉が改修して城として造り込んだ(私感)☆理由としてはこの二条城側が西方城の大手口に当たる為こちら側も何らかの形で造り込む必要がある事☆尾根を進み西方城へ入城していた事を考えるとスペース的に平時は居館跡として利用(二条城)有事の際には背後の山(西方城)へ籠り戦っていたのかも知れません☆何にせよ元々の形からは戦国動乱期に改修拡大を重ねた事で戦闘要塞と造り変わった事でしょう☆戦国期末期の顔をしています☆久々に行った二条城の藪は綺麗さっぱり☆素敵な城郭へ整備されておりました〜♪
あっ🤭石積み撮り忘れた🤣😂
2020年11月12日 ️_
関ヶ原の戦いで上杉家から徳川家に鞍替えした藤田信吉が城主です。
上杉贔屓にはそれだけでも攻める理由は十分ですが、西方城の駐車場からわずか数十m登るだけで、石積を配した土塁囲みの主郭と出会えます♪
コスパ高めで、今ならダニだらけだった薮もありませんので、お早めに攻めてください(^-^)/