布袋岡城

布袋岡城([西方城  周辺城郭])

西方城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「布袋岡城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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布袋岡城の口コミ情報

2026年04月20日 昌幸近江守更に吉


主郭東側の遺構の北、丘陵部に造りかけと思われる遺構が残っています。15,000と言われた宇都宮軍の侵攻に耐えきれず撤退したからでしょう。丘頂には愛宕神社が建っています。以前紹介したのに写真を載せられていなかったので、どうぞご覧ください。

【写真の説明】
①1番麓にある土塁と堀切
②堀切から竪堀へ
③中腹にある竪堀
④上は主郭腰郭の付け根。写真右の削平地から90度に折れ竪堀へ変化
⑤どんどん落ちる竪堀
⑥東側遺構と丘陵部との間の鞍部

2026年04月17日 昌幸近江守更に吉


栃木市の布袋岡城は、北に現国道293号線が通る標高210mの要害山に築かれました(比高90m)。

天慶年間(938〜47)に藤原秀郷が築いたということですが伝承の域を出ず、永世年間(1504〜21)に皆川成勝が再築城し、城代として柏倉兵部左衛門を配置したとされます。子・宗俊、孫・広照の代になると東方からの襲来を意識した城へと変貌していきます。
元亀3年(1572)に佐竹氏に落とされるものの天正13年(1585)に奪還しました。
天正16年(1588)佐竹氏の支援を受けた宇都宮氏が押し寄せ、皆川氏は諏訪山城まで打って出ますが15,000の大軍では敵わず、諏訪山城、真名子城、布袋岡城と戦線を下げるも布袋岡城は落とされてしまいます。遂に本拠皆川城まで迫る勢いでしたが、北条氏(または壬生氏)が領内に攻めてくる報を受け宇都宮氏は撤退、皆川氏は滅亡を免れました。布袋岡城はこの時廃城となったと言われています。
※上記3城はすべて西方城の周辺城郭に登録があります。リア攻めマップで諏訪山城→真名子城→布袋岡城の退路を是非ご覧になってください。

縄張りは主郭の東側に造られた遺構が素晴らしくこの城の1番の見所です。大きな郭が連なり、郭間の圧倒的な切岸、連郭の左右に竪堀と相当な土木量です。麓は居館で現在も子孫の方がお住まいになられています。現在愛宕神社が建つ東側のもう一つの丘陵にも堀切や竪堀が残りますが造りかけの印象です。完成する前に撤退したのではと思われます。また南に伸びる尾根には堀切・竪堀を設けピークには狼煙台があったようです。

車は西麓の大柿花山という植物園に停めました(協力金500円)そこから、狼煙台と主郭それぞれへ行くルートが整備されています。
遠目からでは分からない圧巻の土木量。現地で見てほしいお城です。

【写真の説明】
①狼煙台。堀が周回している
②主郭と狼煙台の間には堀切が2条あり、そのうちの1条
③主郭下は4つの郭が連なり、両脇を堀で挟む。こちらは南側の竪堀1
④南側の竪堀2
⑤北側の竪堀
⑥竪堀から郭間の堀切を見る
⑦要塞感を醸し出す圧巻の土木量
⑧城の周りは用水路が敷かれている。もしや水堀の名残り?

2021年02月08日 三輪左近衛少将直虎
布袋岡城は戦国時代に皆川氏が築いた山城です。皆川氏の勢力圏の最前線にあり眼前は敵国である宇都宮氏の勢力圏が広がる要衝でした。戦国時代末期に宇都宮国綱の攻撃により布袋岡城は落城し皆川広照は命からがら山伝いに逃走したと伝わります。
山への入口がわからず東側から直登しましたが、西側から道があるようです。尾根を登り切ると城跡らしい雰囲気がしてきて山頂で本丸跡の案内表示を見つけて安心しました。帰路は同じ東側へ下り往路とは別の尾根を選択しましたが、これが正解で広々とした段郭に堀切、横堀といった遺構が目白押しでした。全体的に遺構はよく残されていますが、麓近くは民家敷地となるので敷地に立ち入らぬように注意しましょう。

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