箕輪城

箕輪城([壬生城  周辺城郭])

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箕輪城の口コミ情報

2025年10月25日 昌幸近江守更に吉


全国に箕輪城と名のつく城は多くあり、関東だけでも上野・武蔵・下総・下野にありますが、今回は下野の箕輪城を紹介します。

下野市を流れる姿川西側の段丘にあり、小山氏が築いたとされますが、壬生氏の築城説もあります。南北朝時代の北朝方の城として存在していたようです。

縄張りは2つの郭から成ります。I郭は東を除く三方を土塁と堀で囲んだ館跡で江戸時代に建立された磐裂根裂(いわさきねさき)神社が鎮座しています。姿川を望む景色は風光明媚だったとか。また北側には外堀がありましたが農地・宅地造成で往時の姿は確認できません。I郭の南にII郭があります。広大で城の機能はここに整えられていたと思われます。II郭先端もまた堀切が造られ、その先は矢竹の群生が見られます。

ちなみに箕輪城の落城は1558年5月初旬で、この地域では端午の節句で鯉のぼりを揚げないという風習があります。

みのわ古城公園グラウンドに駐車場があり(20台位)そこから約5〜6分でI郭に着きます。周回することも可能です。

【写真の説明】
①北側から城への入口
②I郭北側の土橋
③I郭北側の堀
④I郭西側。道路脇にうっすらと堀が確認できる。
⑤I郭南側の土塁
⑥II郭の堀切
⑦II郭からI郭を望む
⑧I郭に鎮座する磐裂根裂神社

2022年09月12日 マグロ常陸介祐平


寛正3年(1462年)に小山高朝により築城されたと考えられているようです。永禄元年(1558年)に落城したと伝わるようで、この地域では、5月の節句に鯉のぼりを揚げない風習があるようです。

お城は、2つの曲輪で構成され、本丸と思われる神社のある南の曲輪には、東側を除く三方に土塁が残っています。北の曲輪との間には深い空堀も見られます。北の曲輪は私有地のようなので立ち入りませんでした。城址の入口まで車で行けますが、道が細いため200m程バックで戻ることになりました。

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