宗徳寺
宗徳寺([弘前城 寺社・史跡])
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宗徳寺の口コミ情報
2025年12月27日 釆女正佐吉。
津軽ウルルン滞在記 その①宗徳寺編
佐吉が〜津軽で〜杉山家ゆかりの史跡と〜出会った〜
全国4980万人の杉山家ファンのみなさんこんばんは。
お姉さんある日、某会の研修旅行で弘前市へレッツらゴーしてきたよ。メインは杉山さんの講演。某会のお爺ちゃんが「杉山さんもご高齢だから、お話を聴く機会はこれが最後かも…」なんて言うから思い切って行っちゃった。ところで津軽とか杉山家とか何言ってるかわかんない?4行で教えちゃう。
津軽杉山家は三成次男、重成の子孫。重成は関ケ原の戦いで西軍が敗北後、津軽家を頼って津軽に落ち延びた。杉山源吾と改名し、子孫は代々津軽家の重臣として仕える。現当主は直系15代目杉山丕さん。その杉山家の菩提寺が宗徳寺。
津軽家と杉山(石田)家の繋がりをもう少し深掘りするね。
津軽為信という人は、宇喜多直家と並ぶ、所謂梟雄的人物。裏切りを厭わない成り上がりで、南部氏から独立して津軽統一を果たした人物。で、その津軽の所領安堵の為、三成を介して秀吉に所領を認められたり、三成らを介して大名として認知されたり、三成が嫡男信建の烏帽子親を務めたりと、要するに為信は、三成に大変世話になったの。
そうこうする内に関ケ原合戦勃発。津軽家は嫡男信建は西軍側。そして為信は東軍側で大垣城攻めに参加してる!ま、まぁこれは仕方ない。津軽の周りは東軍ばかりだったし、真田や九鬼も親子で東西に別れてるしお家を守るためには仕方ない。リスクヘッジってヤツですよ(一度使ってみたかったw)。
そして西軍は破れ三成処刑。お家のためとはいえ、散々世話になったのに裏切る形になって流石の為信も罪悪感があったのか、大坂城にいた嫡男信建が、秀頼の小姓として同僚だった三成次男の重成らを若狭から津軽へ逃がしたの(一般的にはすぐ逃げたとされてるけど、ご当主は「津軽は雪深いので春の雪解けを待った」と仰ってた)。
重成は杉山源吾と名乗り、津軽家に保護された。同じく三成三女辰姫も津軽に保護されて、なんと為信三男で2代藩主の信枚(嫡男と次男は若くして亡くなった)の正室として嫁いでる!謀反人として処刑された人物の娘を正室に迎えるとか津軽、男前すぎて震える。TERUとはえらい違い。あいつは絶許‼︎
でも、家康の養女満天姫が信枚の正室として輿入れし、辰姫は側室に降格して上野国に移される。けれど信枚は、参勤交代の際に必ず立ち寄ったの。その結果(いやん♡)辰姫は、長男信義を出産。そしてこの信義が弘前藩3代藩主になるのよつまりっ!
三成の孫が津軽のお殿様になったの!胸熱… 。
側室に降格され若くして亡くなった辰姫は気の毒だけど、満天姫もかなり不遇な人生。検索するといいわ。二人を描いた小説「津軽双花」も読むといいわ。ついでに弘前藩のWikipediaも読むといいわ、色々やらかしてるから。
こうして10代藩主まで三成の血脈が続いたの(10代目は問題児すぎて幕府により強制隠居。為信と三成が草場の陰で泣いてるぜ)因みに、2代目信枚の娘が重成の嫡男吉成(三成孫)に嫁いでいる。つまり津軽家には三成の血、杉山(石田)家には為信の血が流れてる胸熱(もういい)。
そう、津軽為信って実はただの梟雄武将じゃない。三成から受けた恩義を忘れず、遺児を保護する事で恩返しした義理堅い武将(為信の別エピは別ウルルンで続く)。できませんよ謀反人の子を匿うなんて。TERUの様に遺児の首を家康に差し出す事だって出来たのに。絶許。(受け取らなかった家康は流石)
さて、杉山家15代目ご当主、御年89歳。驚く事に額や目元辺りが、江戸時代初期に描かれたと推定される杉山家伝来の三成肖像画とよく似てらっしゃる!血は相当薄いはずなのに、子か孫くらいの面影がある(お姉さん主観w)。写真をお見せできないのが残念。
講演後は座談会の場を設けて下さり、老舗和菓子屋「大阪屋」のお茶菓子をご用意して下さった。こちらのご先祖が豊臣家臣で、大坂の陣で敗れ弘前までやってきたそう。その後、藩御用達の菓子司として仕え、現在まで約390年続いてるんだって。和菓子でも大坂と津軽の繋がりを感じられたひとときでした。
そして、世が世ならお目通りも叶わなかったかもしれないご当主とお墓参りをさせていただき、握手したり一緒に写真に収まったり、オマケに高度な津軽ギャグをお披露目下さり、これって推しのチェキ会か?
「そろそろ時間です…」お姉さん、後ろ髪惹かれる思いだった。会長が「是非石田町へもお越し下さい」なんて言ってるけど、お姉さん分かってる。ご高齢だし、遠方の滋賀まで来てくださる筈ない事分かってる。一期一会、とご当主のお姿を目に焼き付けたわ。
2ヶ月後、普通に石田町で再会できたわ草。
①宗徳寺山門
①豊臣姓が刻まれた杉山家の墓
②大阪屋の和菓子









