須花城
須花城([赤見城 周辺城郭])
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須花城の口コミ情報
2025年09月22日 マグロ常陸介祐平
佐野国綱が築城したとされています。戦国期になると足利長尾氏の支配下となったようです。
天正10年織田氏の家臣滝川一益が上州入を果たすと、佐野氏は一族の天徳寺了伯の斡旋もあり織田氏に従いますが、本能寺の変で信長が討たれると一益は関東から撤退、佐竹氏等と組み北条氏と戦うことになりますが、北条方の長尾顕長に、ここ須花坂の戦いで敗れ、当主佐野宗綱は討死しています。その後宗綱の養子として佐野氏を継いだのは、宗綱より年長の敵方北条氏康の6男氏忠でした。
お城には先人様の登城口が見つからず、工場向かいのゴミ回収ボックスと地蔵が並ぶ場所から入りました。細い道を入り、30m程にある墓地脇を城に向かって進むとピンクリボンの巻いた木のある分岐があり、右側に進むとすぐに堀切に当たります。目の前は主郭の切岸ですが、武者走り風の滑りやすく歩行注意の道がついており、登ると主郭東側の郭の堀切の脇に出られます。4つの郭で構成されており、それぞれの郭を堀切で分断、主郭と西の郭の各西側には土塁、西側の郭の尾根道の先にも堀切が見られます。
堀切の規模など、土木量が多いとは言えませんが、保存状態は良好で見応えはありました。駐車には難儀しますが、この時期でも支障なく探索可能で、登城口からは15分程で主郭に到達出来ます。
2021年02月22日 [銀英1]唐沢山下野守秀郷
1335年佐野国綱の築城と言われています。代々唐沢山城の支城でしたが、1558年足利長尾方に渡り、樺崎山城同様長尾氏の対佐野氏への前線地となります。
1585年佐野宗綱は須花坂の戦いでこの地で討死、弟の岩崎重久や福地慶久等数多くの忠臣を失い佐野家衰退の一因となりました。
今日は北側県道208号から南へ。途中に路駐し(道が狭いので要注意)大きい立派な民家の塀と石垣の間を抜けて山道へ。
尾根づたいに山頂へ、20分位で本郭に到着します。二重堀を含めて大きいな堀は3本しっかり残っています。郭は本郭の東に二つ、西に一つ計四つでしょうか、本郭はそこそこ整備され、小さい祠がありました。ただ、備えは西側の方が堅固で佐野氏の面影が伺えます。
祠後ろにある杉の大木、よくみると中が炭⁉️落雷から祠を守った❗️しかも生きています、ちょっと感動しました。
登山入り口にある大きく立派な民家、石垣の北側にはこれも立派な墓所と神社が、きっと須花城と何か深い関わりがあるのではと勝手に思っています🎵また、塀と石垣の間は当時へタイムスリップしたようで、とても風情を感じました☺️