大塚城
大塚城([不摩城 周辺城郭])
不摩城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「大塚城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
大塚城の口コミ情報
2025年05月01日 昌幸伊予守更に吉
川沿いは等間隔に城が築城される傾向があります。渡河や川に並行して通る街道の監視、変事の通信網の役割をしていたのでしょう。在地豪族が制河権を取ろうと激しく争うわけです。この思川(おもいがわ)流域も例外ではありません。
大塚城は天亀〜天正年間に佐野氏の支城として大塚信濃守綱利により築かれました。東にあった粟野城(西方城の周辺城郭)が皆川氏に奪われた時に築かれたのかも知れません。一進一退を繰り返すもこの地域は皆川領となり、大塚氏の帰農と同時に廃城になったと思われます。
縄張りは連郭式で、「ここまで掘るのか?」と仰天する堀切が2条もあり、最奥の城域端には畝状竪堀が備わるというこの地域ではオリジナリティ溢れる縄張りを持っています。なお麓には居館跡があり土塁が残っています。
車は「清流の里かすお」に停め、徒歩で10分くらいで麓に到着します。今冬の山城攻めは栃木の城をメインに巡りましたが、最後の最後でご馳走が出てきたようで嬉しかったですね。堀切の上り下りは少々大変ですが、山城好きには是非訪門してもらいたいお城です。
【写真の説明】
①郭1-郭3間の堀切から続く竪堀。他の竪堀も同様に明瞭に残っている
②郭1の帯郭
③郭1-郭2間の堀切。郭2の土塁には石積みが見られる
④郭2-郭5間の堀切。郭2側は画面一杯に写る堀の深さ
⑤郭5から郭6へ。間に段郭を挟む
⑥6郭-7郭間の堀切。ここも遠慮ない深さ
⑦引っ掻き跡のように刻まれた畝状竪堀
⑧城域内外は堀切ではなく土塁で仕切っている
2025年03月09日 ʀᴇᴅ副将軍
4条の巨大堀切が圧巻の隠れた名城🏯
オススメ度 ★★★★★
築城年代は不詳。元亀・天正年代(1570年〜1592年)に大塚綱利により築かれたとも伝わります。
大塚氏は佐野氏に属した在地土豪とされ、佐野氏の支城として皆川氏の粟野城を攻略する拠点として機能したと考えられています。
見所
粕尾の谷戸部に入り込んだ標高約230mの丘陵上に築かれており、南北に伸びた尾根を堀切で区切った連郭式ですが、圧巻の大堀切が4条もあります。
特に最も北側の大堀切が深さ鋭さが最大で、更にその北側には数条の連続堀切があり側面は下野では珍しい畝状竪堀となっています。
また所々にこれも下野では珍しい石積みも点在しています。
南側の尾根先は段郭群が連なり、竪堀で周囲を堅めています。
南麓にある民家には土塁が残り居館跡であったと考えられています。
2022年05月10日 【籠城中】下野守智ぞう
清流の郷かすおに車を止めて日光・足尾方面に歩き、粕尾小学校を越え、理容店まで行かない場所に右に入る砂利道あり。そこを右折して歩くと左手に食い違い虎口のような土塁が見えますので、そこを進みます。
前方に山が見えますが、猪柵で囲まれてますが、一ヶ所針金で止められてますが、開けられる場所がありそこを開けて入ります。城への登山道はわかりづらいですが、うっすらとつづら折りの道がありますので、登ると城跡に到達します。
堀切や土塁、かなり状態良いです!本郭越えたあたりからの連続して現れる巨大堀切は、気をつけて降りてください‼️(3つめが凄すぎてビビり降りられませんでした)石積も見られますので探してみてください。
城跡は直線なんで迷う事はないかと。清流の郷かすおから歩く事を視野に入れても1時間弱で帰ってこれるかと。大塚城近くには、粕尾城や粟野城もありますんで体力に自信あればあわせて。