持明院

持明院([皆川城  寺社・史跡])

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持明院の口コミ情報

2026年03月09日 昌幸近江守按甲休兵


持明院は皆川城築城の際、皆川紀伊守秀光の四男栄賢が柏倉地内にあった寺を移祀し、皆川城の鬼門除けの役割を担いました。(栄賢は裏鬼門に建つ成就院の六世で、成就院は柏倉にある)

さて持明院といえば、京都智積院再興一世の玄宥が仏門に入った寺です。
享禄2年(1529年)吹上城主膝附宗長(吹上城は栃木城の周辺城郭で紹介)の子として生まれ、7歳から15歳まで修行をしました。皆川広照は19歳年下の甥にあたります。
玄宥はやがて紀伊の根来山円明寺の智積院に入り、日秀僧正の教えを受け、28歳の若さで日秀の後を継ぎ智積院主となりました。
しかし天正13年(1585年)豊臣秀吉の紀州征伐で、巨大な軍事力を有していた根来寺一派は標的となり、玄宥は弟子を引き連れ高野山へ逃れた後、各地の寺に身を寄せ智積院再興の灯を消さず時を待ちます。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康から智積院再興の許可が出て、翌年に京都東山の豊国神社境内の土地と坊舎を寄進され、念願の智積院再興を叶える事ができました。慶長20年(1615年)に豊臣家が滅びると、隣接の寺を吸収合併し真言宗智山派の総本山となるまでに至りました。

皆川広照が戦国の世を渡ってこれたのは、三英傑と誼を通じていた叔父・玄宥の助けがあったからかも知れません。

【写真の説明】
①②山門
③④参道
⑤本堂
⑥持明院から皆川城を望む

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