蓮華寺

蓮華寺([二本松城  寺社・史跡])

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蓮華寺の口コミ情報

2019年10月05日 野呂利左衛門督休三
二本松での戦闘の直後は新政府軍の宿舎に割り当てられていますが、新政府軍の兵の振る舞いがひどく、客殿で肉食までしていたそうです。十九世住職の日勇はその行いに抗議して、団欒する兵たちの前で腹を切ったそうです。
寺には少年隊の岡山篤次郎、岩本清次郎、三番組番頭の樽井弥五左衛門、その父で農兵司令士の黒田兵庫らの墓があります。

境内の寛永二十(1643)年に植えられたと伝えられるシダレザクラは市の天然記念物です。

岡山篤次郎は木村銃太郎の最初の門下生でした。一番弟子であった篤次郎は大壇口の戦いでは成田虎治とともに砲術助手として参加しています。大壇口からの撤退途上、大隣寺門前の新政府軍による斉射で重傷を負い、新政府軍の救護所になっていた称念寺に収容され、そこで志望しています。そこで「銃をよこせ」などのうわごとを述べていたことが感嘆を呼び、新政府方の隊長から反感状(かえりかんじょう。敵方からその功を証する。出したのは土佐藩の広田弘道と言われる)が出されています。墓碑にその文面が刻み込まれたとのことですが風化著しく読み取ることは困難になっているそうです。
砲術の腕前があった篤次郎でしたが美男子でもあったそうです。しかし字は下手だったそうで、母親に身元確認用の名前を装備一式に書いてもらったそうです。

岩本清次郎は木村銃太郎の父の貫治の門下でした。二本松の攻防戦では樽井弥五左衛門の部隊に所属し、七月二十七日の上ノ内の戦いに参加して戦死しています。この戦いで奇襲を受けた樽井隊は敗退。130人いた隊員は光現寺に再集合した際には17人しかいなかったそうです。
清次郎は体調不良にも係わらず撤退命令に従わずに同年の中村久次郎と射撃を続けたそうです。後年この2人は上ノ内の二銃士と呼ばれるようになったとのこと。

[参考]
戊辰掃苔録「蓮華寺」
二本松市「蓮華寺のシダレザクラ」
二本松堂「岡山篤次郎 13歳」
青空亭「岡山篤次郎道貫」
霞―奥州二本松「岩本清次郎」

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