旧鉄砲谷

旧鉄砲谷([二本松城  碑・説明板])

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旧鉄砲谷の口コミ情報

2019年10月13日 野呂利左衛門督休三


蒲生氏時代に二本松城は東と西に二分され、それぞれに城代を置いたとか。
東側は松森舘と呼ばれ、その大手が置かれたのが鉄砲谷だそうです。武具が集積されていたのではないかと見られています。
蒲生氏郷時代の城代は蒲生郷成と町野繁仍、町野幸和。秀行時代も城代を2人置いています。

蒲生郷成は柴田勝家旧臣で元は坂源二郎でしたが、岩石城攻めで豊臣秀吉に功が認められるなどしたため、蒲生姓を与えられています。氏郷時代は最終的に四万石にまで上り詰めています。
蒲生氏郷没後の蒲生騒動(蒲生家家臣内の争い。筆頭仕置奉行[家老]の蒲生郷安が失脚。郷成も関与)で蒲生家は宇都宮に減封されますが、郷成も三万石に減知されますが、笠間城主になっています。慶長五年の動乱後に蒲生家が会津若松に返り咲くと守山・三春の城代を経て須賀川四万五千石の城主になりますが、重臣の岡重政と対立して出奔し、藤堂高虎に仕えています。関ヶ原合戦で石田三成に属して戦った蒲生郷舎は子とも弟とも(関ヶ原合戦後は蒲生家に帰参)。

町野繁仍は竹田神社(東近江市。朝日野駅そば)神職家の安井家の出身。後に実家が途絶えたため継承のために戻っています。
幸和は残って仕えますが蒲生郷喜、蒲生郷舎兄弟との対立で出奔して旗本になっています。

[参考]
二本松市観光連盟「二本松城(霞ヶ城)・歴代城主・城代について」
Wikipedia「蒲生氏郷」「蒲生郷成」「町野繁仍」「町野幸和」「二本松城」


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