稲村御所

稲村御所([須賀川城  周辺城郭])

須賀川城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「稲村御所」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

稲村御所の口コミ情報

2023年04月07日 国府左京大夫城介


鎌倉府における奥州の統治機関である稲村公方の本拠地

【歴史】
応永6年(1399)に、足利満兼(第3代鎌倉公方)が弟の満直(篠川公方)と満貞(稲村公方)をそれぞれ陸奥に下向させた。
稲村公方である満貞は、二階堂氏、伊東氏、白河結城氏と連携して、鎌倉府に反抗的な伊達氏と何度か衝突している。応永9年(1402)に、伊達政宗の乱を鎮圧した上杉禅秀が力を持つと、稲村公方の力は弱体化していった。足利持氏(第4代鎌倉公方)の頃になると、鎌倉と奥州との取次程度となり、応永31年(1424)に満貞は鎌倉に退去し、稲村公方の役割は終焉したと云われている。(正長2年(1429)頃の命令文書が残っており、この頃まで奥州で活動していた可能性がある)
なお、足利満貞は、永享の乱で持氏に与したが、幕府に敗北し、永享11年(1439)に持氏と共に自害した。

【遺構】
須賀川城から南西に約3.9kmにある台地(比高20m)に築かれている。
赤城寺の背後にある南側の「御所館」と、赤城神社の背後にある北側の「北ノ城」の二つの曲輪から構成されています。
主郭にあたる「御所館」は御所として十分の広さを持っており、北側には土塁や折れ、虎口が残っている。一方、「北ノ城」は倒竹が激しく遺構の状態を確認することはできなかった。そして、両曲輪の間には、深さ10m近くある巨大な堀切と、曲輪を繋ぐ土橋が残っている。

【感想】
御所ということで、城郭としての遺構はあまりないのかと思っていたら、曲輪間にある巨大な堀切が一番の見所です。とにかく本当に巨大で、応永年間にこのような巨大な堀切が掘られたことは信じられないくらいです。この堀切は、台地下にある道路からも確認することが出来ます。
しかし、この堀切に到達するのが中々困難でした。「北ノ城」は倒竹が激しく進む気力が湧かず、主郭にあたる「御所館」の半分近くは畑となっており、畑の上を突っ切らないと行けないような状態でした。縁にある半分藪化した土塁の上を時間をかけて行くことで、何とか目的の巨大な堀切に到達することができます。

【アクセス】
須賀川駅から「長沼車庫」行きのバスに乗り、「稲村」で下車し、徒歩8分。

【写真】
①赤城寺入口
②御所館
③御所館の土塁
④虎口
⑤土橋
⑥堀切(東)
⑦堀切(西)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore