馬ヶ岳城(うまがだけじょう)

馬ヶ岳城 投稿者:副将軍お城エリコさん

城郭基本情報

名称(よみ) 馬ヶ岳城(うまがだけじょう)
通称・別名 馬岳城、馬ヶ嶽城、大谷城
所在地 福岡県行橋市大字大谷/京都郡みやこ町犀川花熊
天気情報

05/11(土) 降水確率:20%
25℃[+1]11℃[+3] 詳細

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問い合わせ 行橋市教育委員会文化課[電話
分類・構造 連郭式山城
築城主 源経基
築城年 天慶5年(942)
主な改修者 緒方氏、新田氏、長野氏
主な城主 源経基、緒方氏、少弐氏、菊池氏、規矩氏、新田氏、大内氏、大友氏、宇都宮氏、長野氏、細川氏
廃城年 慶長20年(1615)頃
遺構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群
再建建造物 石碑、説明板

概要 

行橋市とみやこ町の市町境にある標高216mの馬ヶ岳に築かれた中世の山城です。「馬ヶ岳」の名称は2つの峰が鞍を載せた神馬を連想させたためつけられたといわれています。

馬ヶ岳城は豊前国の重要拠点であることから、中国地方の大内氏、毛利氏、豊後の大友氏などが激しい争奪戦を繰り広げました。

遺構 

山城は山に土木工事を施して要塞化したもので、様々な防御施設があります。馬ヶ岳城は東西2つの峰の頂上を曲輪とし、西側を本丸、東側を二の丸としていたといわれています。その他、斜面を登ってくる敵の動きを制限する竪堀、尾根伝いに侵攻してくる敵を妨げる堀切、斜面を削って切り立たせた切岸などがあります。

発掘調査を行っていないため建物があったかは現在のところ不明です。馬ヶ岳城の居館は馬ヶ岳の北側の谷にあったと推定されています。

その東の尾根には南北方向に数百mにわたって土塁や畝状空堀群(畑の畝のように空堀を連続させたもの)が築かれており、登山道沿いに見ることができます。

歴史 

馬ヶ岳城は天慶5年(942)に源経基が築き、14世紀半ばから15世紀前半にかけて新田氏が拠点としていたという伝承がありますが、これらを裏付ける史料は確認されていません。史料に確かな記録が表れるのは応永12年(1405)のことで、九州探題の渋川満頼の書状にみられる馬ヶ岳城を攻め落としたとする記述です。また、天正3年(1575)には京都、伊勢神宮へ旅行する島津家久が「長野殿の城有」と記しています。

天正14年(1586)になると天下統一を目指す豊臣秀吉が九州で一大勢力を築いていた島津氏を征伐するため、黒田官兵衛が軍奉行を務める軍を投入します。当時、馬ヶ岳城主であった長野三郎左衛門は秀吉方に服属し、馬ヶ岳城は秀吉の勢力下に置かれました。

翌年3月には秀吉自ら軍を率いて九州へ上陸し、馬ヶ岳城に入ります。ここで秀吉は2泊し、その間に秀吉と敵対する秋月氏の岩石城(添田町)攻略のための軍議を開いています。軍議の結果、猛攻をかけることが決まり、難攻不落で知られていた岩石城をわずか1日で陥落させました。

そのまま破竹の勢いで進撃し、5月には島津氏の本拠である薩摩国まで攻め込むと島津氏は降伏、九州は平定されました。その後、九州国分が行われ豊前6郡が官兵衛に与えられると官兵衛は馬ヶ岳城を拠点としました。その理由は、馬ヶ岳城が古くから拠点とされていたこと、領地の南側に黒田氏の支配を不服とする宇都宮氏がいたことが挙げられます。

これらの反抗勢力を鎮圧すると官兵衛は城下町を形成しやすい平地に中津城(大分県中津市)を築きます。

このように近世になると山城はほとんど使われなくなり、鉄砲などの新たな戦術に対する防御機能を持たせることと相まって平城へと移り変わっていきます。馬ヶ岳城はちょうどその移行期にある城で、城郭の歴史を知るうえでは欠かせない城といえるでしょう。また、馬ヶ岳の西隣には古代山城である御所ヶ谷神籠石も築かれており、古代山城と中世山城を見比べてその違いを実感するのも面白いでしょう。

情報提供:行橋市教育委員会文化課文化財保護係



城郭口コミ


2024/02/19 21:36星穏
毘沙門城:みやこ町犀川木井馬場にある豊前宇都宮氏の山城です。宇都宮氏の拠点は、建久三年(1192)(諸説あり)に入部して約140年間居た木井馬場と、正慶年間(1332~34)に移った城井谷(築上町)の二つがあります。毘沙門城は、関東御家人の宇都宮信房が豊前国に入部し最初の居城とした神楽城の出城で、東北の鬼門にあたり毘沙門天を祀ります。主郭は細長く、南北に帯郭が取りつき、西尾根を空堀で断ち切っています。主郭の西側は、現在墓地となっていますが三段になっており、そのさらに西側を三重の土塁と堀切で尾根を断ち切り、北側に出丸を持ちます。神楽城と毘沙門城の間を走る県道239号を走ると赤い鳥居が見え、そこから登ること...

2024/02/05 17:43星穏
小笠原神社:小倉城、小倉藩に関する紹介です。(距離の関係で馬ヶ岳城の周辺スポットとなります)みやこ町豊津にある小笠原神社は、初め小倉城内にありました。幕末の長州との戦いで自ら城を焼いたため藩庁が田川郡香春、豊津へと移り、小笠原神社も北九州市門司の和布刈(めかり)神社からみやこ町八景山招魂社(現護国神社)を経て現在の位置に建立されました。祀られているうちの一人、小倉小笠原藩初代藩主の小笠原忠真は、信濃松本藩藩主小笠原秀政を父とし、母は松平信康と徳姫の子である登久姫。すなわち織田信長と徳川家康の血を引く人物となります。黒門は、同じくみやこ町豊津にある現育徳館中学・高校の敷地内にあり、創設当時の門として保存され...

城郭攻略情報


2020/03/22 07:29
桜井太政大臣静龍
日豊本線ソニック下り、行橋駅停車中に攻略できました。
2019/08/17 15:20
邦順大和守大八郎宗久
新田原~南行橋間で攻略出来ました
2017/01/20 12:25
行くぞ湯布院征夷大将軍クララ姫
今川PAにて安定攻略。
2017/01/02 12:52
征夷大将軍の くま
日豊本線JR南行橋駅でも攻略出来ました(^o^)
2016/09/24 12:25
かわきち太政大臣
日豊本線行橋駅にて攻略できました。(SoftBank)

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 星穏さん 88

 2位 隆宗さん 70

 3位 前後主殿允際断さん 68

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