本山城(もとやまじょう)

本山城 投稿者:西市正紫雲さん

城郭基本情報

名称(よみ) 本山城(もとやまじょう)
所在地 愛媛県松山市小浜大串
天気情報

11/24(日) 降水確率:20%
15℃[-1]7℃[-2] 詳細

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問い合わせ 松山市教育委員会文化財課[電話
分類・構造 連郭式山城
築城主 忽那兼平
築城年 文治3年(1187)
主な城主 忽那氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、石塁、竪堀、犬走り、武者走り、烽火台、水ため井戸
指定文化財 市史跡(本山城跡)

概要 

中島・小浜の大串海岸に面した標高106mの本山山頂に築かれた中世城跡である。

城郭は、山の傾斜面を活用して南に延びる連郭構造で、南面は頂上部の第1郭(12m×31m)から小刻みな段差を備え、郭は12段に構築されている。第2郭と第3郭は、上下の郭に連絡を保つ構えで、それぞれ幅10m、全長25mから30mの規模である。

第2郭と第3郭の法面は石積で、段差は2.5m、南北に連絡する武者走りがある。北部は大きく5段の石積が波型に積まれ、その外側基部に幅60~70センチメートルの一段積犬走りがある。また、東側山麓に船隠しと呼ばれる深い入江をもつ。

本山城は、文治3年(1187)、忽那兼平が水軍活動の根拠地として、初めて築いた城である。興国3年(康永元年-1342)には北朝方の道後湯築城主・河野通盛が来襲したが、3夜の大激戦にのち、これを撃退したと伝えられる。本山城は忽那水軍雄飛の拠点であったが、豊臣秀吉の四国攻略で、天正13年(1585)、小早川軍が来襲し、落城した。

歴史・沿革 

・文治3年(1187)忽那兼平が本山城を築く。
・興国3年(1342)北朝方の河野通盛が南朝方の中島を征討すべく来襲。忽那義範、重勝は一族を集結しこれを迎い討つ。
・天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の時に小早川隆景に攻められて落城する。
・昭和43年(1968)10月 旧中島町指定文化財史跡本山城跡に指定される。
・平成17年(2005)旧中島町は松山市に編入され松山市指定文化財となる。

参考文献 

・中島町文化財保護委員会1981「中島の文化」第二集 中島町教育委員会
・愛媛県教育委員会1987「愛媛県中世城館跡―分布調査報告書―」
・長山源雄1982「伊予の古城跡」伊予史談会双書第4集 伊予史談会

情報提供:松山市教育委員会文化財課



城郭口コミ


城郭攻略情報


2024/09/15 08:36
甲斐の虎ハムちゃん
今治市側から攻める場合は、愛媛県免許更新センター前にて攻略
2024/07/11 23:02
DEATH 弾正少弼 です
阪九フェリー 北九州→神戸(木曜発)2258頃 釣島西方 攻略地図上の柳井ー三津浜航路の北側の航路の線を北方向に超えた辺り
2024/05/03 15:35
馬氏五常の末弟
防予フェリーからは、中島、小市島沖辺りで攻略
2023/06/03 14:57
すだちくん
高浜駅で攻略
2022/11/24 22:07
チュウ太
真っ暗で全く見えず。さんふらわあ外にて攻略。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 大宰少弐菊寿丸さん 41

 2位 かもも右大臣さん 19

 3位 主膳佑征夷大小軍さん 14

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