名称(よみ) | 沼城(ぬまじょう) |
通称・別名 | 亀山城 |
所在地 | 岡山県岡山市東区沼 |
天気情報 |
04/03(木) 降水確率:30% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 岡山市企画局情報企画課[電話] |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 中山信正 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な城主 | 中山氏、宇喜多氏、浮田氏 |
廃城年 |
慶長6年(1601) |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
再建建造物 | 石碑(亀山城跡)、説明板 |
宇喜多直家、備前を統一の道へ
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亀山城(かめやまじょう)は、岡山県岡山市東区沼にあった日本の城(平山城)。別名沼城。岡山市指定史跡。
概要
現在の岡山市東区沼の浮田小学校の東隣に位置し、天文年間に浦上宗景配下の中山勝政が築城した。永禄2年(1559年)、宗景の命により宇喜多直家は義父の信正を謀殺して城主となり、岡山城に移るまでの約15年間は当城を拠点とし、領土を増やした[1]。
1582年、本能寺の変後の中国大返しで、羽柴秀吉軍は備中高松城からこの城まで移動、しばしの休息後、姫路城を目指したと伝わる[2]。慶長6年(1602年)、岡山に移封された小早川秀秋によって廃されている。
本丸跡にはソテツが植えられている。当城で生まれた宇喜多秀家(直家の子)は関ヶ原の戦いに敗れた結果、八丈島に流罪となった。子孫が赦免されたのは明治維新後であったが、その時八丈島でソテツの花が咲いた(赦免花)という言い伝えから、植えられた物である。また宇喜多秀家誕生の地という記念碑が建てられている。
現状
1980年代まで主郭の北と西に残存していた土塁は公園化の際に破壊され、現在は痕跡を留める程度になっている。または西ノ丸西側に残存していた土塁も、現在は消失している。市指定史跡でありながら、その他の遺構も郭の耕作地化などでほとんどが既に失われている。また古い絵図には東側に出丸が描かれているが、その後の耕作地化で消滅したと考えられる[3]。
建築
参考文献
- 平井聖ほか 1980『日本城郭大系』13 広島・岡山編 p.346
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(33.岡山県)』、角川書店、1989年
2025/01/26 10:43 あしたか陸中守
登城口:こちら側からは本丸までスロープになっています。途中、くるわの方へ行くと反対側からの階段道に出ます。
2025/01/21 12:39 鈴木剛
沼城西ノ丸:高台の上に広場があります。広場には石を使った遺跡のようなものがありますが近代の物のようです。
来月度の城主争い戦況
1位 みこにゃんさん 21回
2位 転がる石大宰帥さん 7回
3位 御家人斬九郎さん 7回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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