名称(よみ) | 高見城(たかみじょう) |
通称・別名 | 四津山城、四ツ山城 |
所在地 | 埼玉県比企郡小川町高見 |
天気情報 |
11/22(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 小川町役場[電話] |
分類・構造 | 山城 |
築城主 | 石井政綱 |
築城年 | 室町時代? |
主な城主 | 石井氏、増田氏 |
廃城年 |
不明 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
指定文化財 | 県史跡(四ツ山城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2024/03/24 00:10 マグロ常陸介祐平
不動寺館:男衾駅から南に600m程のの所にある不動寺が城址です。小野姓である猪俣党の猪俣時範の子、男衾野五郎重任の子がこの地に居住して不動寺(無動寺)を名乗ったようです。東武線の線路から西側の墓地にかけて高台になっていますが、遺構らしいものは見当たりません。寺の道路を隔てた北側には土塁が見られるようですが(今回見逃しました)、江戸時代の名主宅のもので不動寺館とは別物のようです。お寺には、寄居町最古とされる鎌倉時代の板碑がありますが、願主の名前の摩耗が激しく不動寺氏との関連はわかっていないようです。
2024/03/22 00:01 マグロ常陸介祐平
武田信俊館:武田信玄の弟の川窪信実の子、信俊が、家康の関東入部の翌年(1591年)にこの地を賜り居館としたようです。居館跡は武田(川窪)氏の菩提寺の輪禅寺となっていますが、本堂の裏には土塁が残り、虎口が開口しています。虎口は坂虎口となっており、現在も庫裏の裏門として使用されています。大系に「現在館の遺構はまったく認められず椿の馬場という地名のみが館の存在を示す名残としてあるにすぎない」と記載され、館に関する明確な文書が見あたらないことが原因だと思いますが、一般的には遺構の残らないお城と認識されています。1591年(天正19年)といえば、江戸開府の12年も前で、町割りもされておらず、大身の旗本が知行地に館を...
来月度の城主争い戦況
1位 上野介バイクオヤジさん 99回
2位 回し蹴り一本さん 78回
3位 隼人正桃乃助さん 46回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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