河和田城(かわわだじょう)

河和田城 投稿者:mas.k上野介61thさん

城郭基本情報

名称(よみ) 河和田城(かわわだじょう)
所在地 茨城県水戸市河和田町1019
天気情報

11/24(日) 降水確率:20%
15℃[-1]5℃[-1] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 水戸市歴史文化財課[電話
分類・構造 平城
築城主 鍛冶貞国
築城年 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な城主 鍛冶貞国、江戸氏、春秋氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(河和田城跡)
再建建造物 石碑、説明板
河和田城(かわわだじょう)は、茨城県水戸市河和田町にあった日本の城。

立地 

河和田城は、東茨城台地の中央部を流れる桜川が開析する標高約30mの湿地帯と微高地内に曲輪が展開する。

河和田城の範囲は東西約900m、南北約900mと広大である。天徳寺・報仏寺・八坂神社・河和田小学校が所在する東西約510m、南北約600mの範囲には土塁・堀等の遺構がよく残っている。

構造 

曲輪は、Ⅰ~Ⅶ郭(西郭と呼称)とⅧ~Ⅹ郭(東郭と呼称)に大別される。東西郭の間には南北に用水が流れ、両脇に湿地帯(水田)が広がる。すなわち、河和田城は曲輪の中央を縦断する幅約30mの湿地帯の両側に、東郭と西郭が展開する特異な形態を呈する。

Ⅰ郭の防禦施設は手厚く、西側は4~5重土塁(推定)と4重の堀、北側は3重土塁と2重の堀、西側は2重土塁と堀1条が囲む。

Ⅱ郭は、湿地帯とほぼ同レベルで舟入の機能が想定される。Ⅲ・Ⅴ郭は両郭をつなぐ土塁・堀が発掘調査で検出され(松浦・新垣2019)、同一曲輪として捉えたほうが良いかもしれない。

Ⅳ・Ⅵ・Ⅶ郭は、いずれも小さな曲輪である。Ⅳ郭とⅦ郭の境(八坂神社付近)の土塁は枡形虎口を呈し、大手であった可能性が高い。南側では宿に関連する遺構と遺物が検出されている(水戸市教育委員会2016)。

Ⅷ郭は、内部南寄りに二重土塁があり、南北2つの曲輪に分かれる可能性がある。南側では、墓域が検出されている。Ⅸ郭は、報仏寺境内に位置する。西側の湿地帯を背に南・北・東の三方に土塁が取り囲む。Ⅹ郭は、遺存状態が悪く不明瞭な点が多い。

歴史 

河和田城は、建武4年(1337)、大掾氏家臣の鍛冶弾正貞国(川和田入道)が築いたとされる。元中4年(1387)、難台山城の戦いの軍功により河和田城は佐竹氏配下の江戸通景が城主となる。応永33年(1426)、通景の子通房が水戸城主となり、河和田城は江戸氏の重臣である春秋尾張守幹治が城主となった。しかし、天正18年(1590)佐竹義宣による水戸城攻めにより江戸氏は没落し、翌日の12月20日に水戸城の支城を攻撃、この際河和田城も落城したとされる。

特徴 

河和田城は三~五重の土塁や堀といった防禦遺構が注目されがちだが、第一の特徴は手厚い防禦施設を備えながら、東の水戸城(0396)と西の中妻三十三郷(江戸氏の穀倉地帯)を結ぶ物資の中継・集積拠点としての機能を有した水城という点にある(関口2007)。城郭北側の桜川沿いには土塁が複数残存し、桜川からⅡ郭にかけて舟入遺構があり、城内に進入できた可能性がある。

さらに城の周辺には桜川西遺跡・経塚遺跡・圷遺跡・赤塚遺跡等の中世の遺跡が分布し、活発なヒト・モノの往来があったことが発掘調査によって確認されている。また、外城・東組・南組等の地名も残る。このように河和田城は、主郭はもとより周辺の関連遺跡についても考古資料の蓄積が目覚ましく、城とそれに付帯する宿や村の実態を解明できる重要な城館遺跡である。

参考文献 

『茨城県の中世城館』

情報提供:水戸市教育委員会



城郭口コミ


2024/08/25 21:21長森原
軍配団扇の碑:◯吉田神社の軍配団扇の碑吉田神社は元々は河和田城の鬼門を守る八幡宮でしたが、水戸光圀の命により元禄九年に日本武尊を合祀して吉田神社に改称されました。御神体は、後三年の役の帰路のおり源義家からこの地の長者塩沢金兵衛に下されたと伝わる軍配団扇です。河和田はかつて石岡(常陸国国府)から水戸を経由して陸奥に至る古代東海道の通過地点でありました。(石岡〜小美玉〜笠間〜鯉淵〜河和田〜台渡里官衙→陸奥)河和田周辺には様々な義家伝説が残っており、古代からこの地が交通の要衝であった事が伺えます。石岡から台渡里官衙のあった渡里町(長者山城が有る地)までの約27kmの官道(古代東海道、別名五万堀古道)は点在する遺構...

2024/08/24 20:42長森原
河和田城:水戸市立博物館「江戸氏展」の解説によると河和田城は、水戸城から鯉淵・宍戸に向かっていた古街道(現・岩間街道=県道30号線)を監視し水戸城の西の守りを担う役割の城であったとされていました。河和田城の城域のすぐ北側・天徳寺前あたりを、当時の主要な街道が東西に通過していた訳です。河和田城の北西部分には二重三重に土塁と空堀が堅牢に築かれており、西方の鯉淵や宍戸方面への築城者の強い防衛意識が見て取れます。(写真1・2)天正17年に起きた江戸氏の内紛(神生の乱)の際は、水戸城主・江戸重通は西方の鯉淵城の動きを警戒し、平戸氏(江戸氏代官・小幡城在番衆差配人)らに小幡城在番衆を、河和田城へ派遣するよう命じてい...

城郭攻略情報


2024/08/13 11:29
よっしっし左近衛中将
常磐線赤塚駅にて攻略できました。
2024/08/12 10:14
のりものよい
梅ヶ丘通り沿い「焼肉きんぐ水戸姫子店」前で、ゲットしました。
2023/07/25 18:26
あざらし肥前守
公共交通:一例水戸市河和田、茨城交通桜川車庫。(❜18・5攻略)
2023/07/17 16:49
常陸介はるか
水戸市総合運動公園にて攻略。
2022/09/24 21:49
きほ胆振守@羽柴軍稲葉隊
セブン-イレブン水戸見川50号バイパス店で攻略!(50号バイパス見川交差点の角地)ただしこちら閉店するそうなので、停車するならすぐ近くのドン・キホーテをオススメします。

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 軍神磐城守さん 159

 2位 すよん陸中守さん 136

 3位 アライッペ常陸介さん 122

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