名称(よみ) | 河和田城(かわわだじょう) |
所在地 | 茨城県水戸市河和田町1019 |
天気情報 |
11/24(日) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 水戸市歴史文化財課[電話] |
分類・構造 | 平城 |
築城主 | 鍛冶貞国 |
築城年 | 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336) |
主な城主 | 鍛冶貞国、江戸氏、春秋氏 |
廃城年 |
天正18年(1590) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡(河和田城跡) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2024/08/25 21:21 長森原
軍配団扇の碑:◯吉田神社の軍配団扇の碑吉田神社は元々は河和田城の鬼門を守る八幡宮でしたが、水戸光圀の命により元禄九年に日本武尊を合祀して吉田神社に改称されました。御神体は、後三年の役の帰路のおり源義家からこの地の長者塩沢金兵衛に下されたと伝わる軍配団扇です。河和田はかつて石岡(常陸国国府)から水戸を経由して陸奥に至る古代東海道の通過地点でありました。(石岡〜小美玉〜笠間〜鯉淵〜河和田〜台渡里官衙→陸奥)河和田周辺には様々な義家伝説が残っており、古代からこの地が交通の要衝であった事が伺えます。石岡から台渡里官衙のあった渡里町(長者山城が有る地)までの約27kmの官道(古代東海道、別名五万堀古道)は点在する遺構...
2024/08/24 20:42 長森原
河和田城:水戸市立博物館「江戸氏展」の解説によると河和田城は、水戸城から鯉淵・宍戸に向かっていた古街道(現・岩間街道=県道30号線)を監視し水戸城の西の守りを担う役割の城であったとされていました。河和田城の城域のすぐ北側・天徳寺前あたりを、当時の主要な街道が東西に通過していた訳です。河和田城の北西部分には二重三重に土塁と空堀が堅牢に築かれており、西方の鯉淵や宍戸方面への築城者の強い防衛意識が見て取れます。(写真1・2)天正17年に起きた江戸氏の内紛(神生の乱)の際は、水戸城主・江戸重通は西方の鯉淵城の動きを警戒し、平戸氏(江戸氏代官・小幡城在番衆差配人)らに小幡城在番衆を、河和田城へ派遣するよう命じてい...
来月度の城主争い戦況
1位 軍神磐城守さん 159回
2位 すよん陸中守さん 136回
3位 アライッペ常陸介さん 122回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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