秀長が秀吉よりも長生きしていれば…(2016/06/03)
秀長の居城であった郡山城跡(奈良県大和郡山市)
豊臣秀吉の天下取りを支え、絶大な信頼を得ていた弟秀長。天正19年(1591)惜しまれながらこの世を去ったが(享年52)、もし秀長が秀吉より長生きしていれば、秀吉死後の豊臣家の未来は開けていたか?
[投票実施期間]2016年06月03日~2016年06月21日
1.諸大名の台頭を抑えて秀頼を補佐し、長期政権への盤石な礎を築いた。 |
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2.秀吉晩年の暴挙を戒めて力を蓄え、史実のような早期崩壊は防がれた。 |
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3.聡明な秀長をもってしても、家康の野望を止めることはできなかった。 |
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4.あくまで秀吉あっての秀長であり、史実とほぼ変わらぬ結果となった。 |
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5.秀次同様、秀吉との間に深刻な軋轢が生じ、史実よりも混乱を招いた。 |
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6.秀吉死後、人望厚い秀長を推す声が高まり、自ら豊臣家の跡を継いだ。 |
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7.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
蓬左の武将尾張守⚡️晋作(4を選択)
信長に反乱を起こして弑逆しようとした人はいた。秀吉にはそのような人はいなかった。秀吉が死なない限り、歴史は変わらなかった。
くりくり(2を選択)
秀吉死後、天下の為に家康側につき豊臣
真田左大臣もきち(2を選択)
関ヶ原の戦いのような戦いが仮に起こったとしてもなかなか決着つかなかったと思います。
陣屋守(2を選択)
豊太閤の猜疑心や疑心暗鬼が背景にありそうな事件は少なくない。秀長公の存在はこれを変える力があるのでは。楽しい空想。
tradewind中務卿(2を選択)
秀長に子がいたら、秀次みたいになったかも。
聡明な秀長だから円滑に家康に政権をひきつげたかも
中務大輔真銀(2を選択)
実は聡明だったという噂の秀次を死なせる事がなく唐入りを諫める事が出来れば、もしその後家康の台頭があったとしても家名存続くらいは出来たのではないかと・・・
青き巨星弾正少弼かみ(1を選択)
家廉は利家が生きていた時にでも、表立ったことが出来なかったので、秀長だとなおの事なにも出来ません。
豊臣家臣団も割れないでしょうし。
その際は秀長がいつ亡くなるかで変わってくると思います。
knights34治部少輔(5を選択)
結局、時代の流れは変わらないのかと。秀吉の老害、豊富政権の弱体化は秀長でも止められないのかも。
中務卿一之介(5を選択)
朝鮮出兵をめぐって対立が起きた可能性はある。
ミハチマ甲斐守(5を選択)
む~ 今回は難しですね 晩年の秀吉は
もう誰の話も聞かないのでは?
丸山近江守盛慶(2を選択)
秀長は諸大名の信望あつく、家康も出過ぎたまねはできない。秀長が家康より長生きであったなら、家康なき徳川は一大名に過ぎず、豊臣政権のもと全国統一がなされ、一定期間は安定期を迎えたことと想像します。
ジオジオ弾正忠(6を選択)
その後、秀頼に繋いで家康、政宗を押さえ込んだと思う。
右衛門督kiyoshi(5を選択)
淀君と秀頼可愛さで、秀長の諌言が鬱陶しくなり、切腹命じてたかもね
秀長もってしても、秀吉の暴走は止められなかったと思う
ぺんた(3を選択)
家康のしたたかな野望を抑えられたのは善くも悪くも秀吉のカリスマ性があってのこと。
楠木美濃守五郎衛門(2を選択)
病気も無く存命ならば、秀次の切腹すら回避し、また、奉行衆と武闘派の軋轢も調整できぢろうし、家康に漬け込むスキを与えずに、政権の基盤は整えられたと思います。家康より長生きできたらの話ですが…
伊能外記忠敬(4を選択)
秀吉ほどの求心力を発揮するのは難しいでしょうね。
はつお美作守(2を選択)
いずれは徳川の天下になったでしょうが。
Ninja河内守青影(1を選択)
あくまで堺屋太一の秀長では、ですが。
左近衛大将忠三郎(2を選択)
秀吉あっての秀長。
秀長あっての秀吉。
秀長さえ生きていれば、三成や正則、清正らの子飼い武将たちが仲違いすることはなく、少なくとも早期崩壊は免れたと思う。
橘若狭守次郎吉(6を選択)
豊臣家の縁の下の力持ちは秀長公やとおもう。
Michi(7を選択)
秀長の存命中は、何とか豊臣家臣団も収まるが、秀長の死と家康の死がどちらが早いかで、歴史は決まる様に思う。
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