勝家が佐久間勢を支援していたら…(2015/10/05)
賤ヶ岳から見た余呉湖
賤ヶ岳の戦いでは、緒戦に勝った佐久間盛政が柴田勝家の撤退命令を無視した結果、突出したところを秀吉に叩かれ敗戦の契機を作ったとされる。もし、勝家が佐久間隊に続いて全兵力で羽柴陣へ襲いかかっていたら、合戦の行方はどうなっていたか?
[投票実施期間]2015年10月05日~2015年10月21日
1.秀吉が戻った頃には既に羽柴勢は総崩れとなっており、やがて秀吉自身も討ち取られた。 |
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2.余呉湖周辺の城砦はすべて柴田方の手に落ち、劣勢と判断した秀吉は京へと撤退した。 |
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3.主要な羽柴方の拠点は勝家に占拠され、再び長い睨み合いの後、和睦という結末を見た。 |
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4.盛政に続いた柴田軍だったが、各所で砦の攻略に難渋し、やがて史実通りの結果となった。 |
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5.盛政のみならず勝家自身も突出したことで、大返ししてきた秀吉軍に包囲され戦死した。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
おかっぴき(3を選択)
やってみないとわからない。
式部卿PINKGIN(2を選択)
タイミングの問題だしな┐('~`;)┌
レオン1000(5を選択)
やはら大勢は変えられないと思う。なぜなら、それが秀吉だからである。
菊理媛(2を選択)
勝家が神明山砦から続く左衛門の辻長塁に攻撃をした場合、佐久間勢の攻撃で半壊していた羽柴方の戦線は崩壊した可能性が高く大岩山砦から田上山城を結ぶ隘路を突破できない羽柴勢は撤退した可能性が高いです。
大久保遠江守常源(4を選択)
モチベーションの低い方も居られた様なので、攻めきれずと言ったところでしょうか。
まるき〜陸中守(4を選択)
なるがままに今に至っている。振り返っても史実は変わらず…
(=゚ω゚)ノ加賀守(2を選択)
戦略的にも敵に囲まれた秀吉不利。盛政を援護して足場を固めていれば、そう簡単には勝家は負けなかったと思う。
せしえもん中務大輔(6を選択)
前田利家の行動変化で左右されたと思われる。史実では前田勢の抑えが不要になり戦線参加できたことが北陸軍総崩れに拍車をかけたとされる。不戦撤退ならば3か4に、勝家に加担であれば2か3に、秀吉なら4か5に。
琉照(4を選択)
少しの間は優勢だったかもしれないが、その後秀吉軍に押し込まれ、史実通りです。
織田右京大夫青龍(2を選択)
秀吉は戦況を見極めるのがうまいので、劣勢と判断したら無理はしなかった。
キョロ左近衛中将ちゃん(4を選択)
最終的に、長期化すれば、勝家が不利を察して撤退→籠城戦で、利家ら寝返り→秀吉勝利で終わる。
御壁信濃守ポン助(5を選択)
勝家もその様な出方をする事も戦術に入れてあったのでは
トムトム秋田城介(2を選択)
秀吉は駆け引きが上手いので戦況不利なら無理せず退却し部隊を立て直すと思う。戦は弱くても駆け引きが上手い。
誠之亮中務少輔(5を選択)
戦死までもいかないが、被害はもっと拡大していたのでは?
岩代守ガクちゃん(6を選択)
緒戦は有利になるでしょうが、交戦期間が長くなるだけで、最後は同じ結果になったのでは。
【無】万年同心武蔵守三四六(5を選択)
羽柴軍と寝返った前田・金森軍に挟撃されて、討ち死にする可能性が高いように思います。
蒲生兵部卿郷信(4を選択)
堀秀政や羽柴秀長の陣は簡単には攻略できず、むしろ秀吉が戻ってからの退却がより困難に。
A.T.権大納言(6を選択)
敗因は前田利家の戦線離脱であり、勝敗は利家の動き次第と考える。
伊能外記忠敬(3を選択)
織田家はしばらく合議制の後、秀吉が徐々に頭角を表したでしょうが、秀吉の寿命の前に天下統一が果たせなかったかもしれないですね。
今川治部大輔義元(3を選択)
寝返りが続々と柴田側に出てきたと
よく言われるので砦がおちて。
隼人正のぶちゃん(3を選択)
柴田勝家に強かな軍師が、居ないので最終史実どうりの結末を迎えただろう❗!Σ(×_×;)!
アンパンマン(5を選択)
やはり盛政の失策だった。勝家の言うこと聞いておけば膠着状態が続いてどうなったか分からないのに…。でも膠着状態になると政治力で結局は秀吉が勝ったと思うけど。
明石則実右大臣【二つ雁金】(2を選択)
盛政勢八千どころか勝家本隊が動けば、羽柴方の砦はほとんど陥落していた公算が高く、利家や長近などの日和見もなかったかと。あくまで願望ですが。
綱島出雲守八雲(4を選択)
時代の勢いと流れは羽柴側で烏合の衆的柴田側では間を突かれ総崩れでしょう。
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