家康の人生最大の危機は?(2014/12/15)
徳川家康肖像(部分)〔大阪城天守閣蔵〕
数えきれぬ苦難を乗り越え、忍耐を重ねた末に天下統一を成し遂げた徳川家康。その中でも家康の人生において最も危機だった出来事は?
[投票実施期間]2014年12月15日~2014年12月29日
1.今川方として参戦し味方が総崩れとなった「桶狭間の戦い」。 |
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2.織田信長に従軍し壮絶な退却戦となった「金ヶ崎の退き口」。 |
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3.ほぼ単独で武田信玄と戦い完敗を喫した「三方ヶ原の戦い」。 |
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4.本能寺の変後、命からがら領国へ戻った「伊賀越え」。 |
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5.圧倒的大軍の秀吉と対峙した「小牧・長久手の戦い」。 |
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6.石田三成と天下を賭けて戦った「関ヶ原の戦い」。 |
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7.真田信繁(幸村)に本陣まで切り崩された「大坂夏の陣」。 |
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8.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
とみお(3を選択)
脱糞するほど怖かった戦いは三方が原しかないと思う。あと餅?を食い逃げした時もこの戦いでした。
左近衛大将忠三郎(1を選択)
なんだかんだ一番のターニングポイントでしょう。今川方のまま様子を見ていたら信長に潰されてたかもしれんし。
鎌倉木工頭鬼武丸(8を選択)
老い。
玄蕃頭陸奥太(6を選択)
既にかなりの地位を築いていた状態での勝負だったから
ラペルーズ十勝守(8を選択)
天ぷら
田塚大膳亮康弘(7を選択)
そりゃ〜彼が自害を決意するまでに追い詰められたからねぇ
明石右大臣則実(5を選択)
圧倒的兵力差があったので、秀次が余計な陽動作戦さえしなければ家康の負けは確定していたことでしょう。秀吉が本気で徳川を潰そうと思えば潰せたはず。
きょんた右近衛少将(7を選択)
コレでしょうかねぇ〜
切腹を覚悟したと本人が言ったと言われてるし
三河守ろく(3を選択)
唯一の負け戦と聞いてるから。
トイスじょう(7を選択)
改めて見ると家康不死身だなぁ幸村の後一太刀で日本変わってたなぁ
(8を選択)
信長の命に反し嫡男信康に自刃を命じなかったら信長に滅ぼされたかも…
誠之亮中務少輔(3を選択)
武田信玄強し!
ドリフター右衛門督(7を選択)
夏の陣で実は家康は死んで替え玉が立てられた…って説、大好きです。
せしえもん中務大輔(4を選択)
戦の危険とはまた異なる危機。
軍勢を従えずに大名が野を移動することの危険度は格別だったはず。
龍胆振守上海(3を選択)
間違いなく、武田信玄の侵攻。病没しなければ軍門に降るしかなかったはず。
会津武士白虎隊(3を選択)
厳しい戦だった強調。
木工允ぼくぜん(3を選択)
伊賀越えは梅雪が死ぬ等(謀殺等々諸説ありますけど)困難がありましたが、三方ヶ原の方が相当厳しかった筈です。
何しろ最強の武田軍相手で戦力差もかなりなもの
前中務少輔スマイルザムライ(3を選択)
他の選択肢は運が悪ければ死んでいたものですが、これは運よく「死ななかった方」に転んだだけなので、危機の度合いが違うかと思われます。
鶴亀仙人(3を選択)
3.三方ヶ原か7.大阪夏の陣か…
やっぱり信玄公との戦いでは死を覚悟したかと。
脱糞も戒めとし、その後は武田軍のものを大いに取り入れているから。
もしかすると家康は信玄公を尊敬してたかも!?
【麒麟】大宰帥しらいとはま(7を選択)
幸村の突撃で本陣を襲われ
家康は幾度も切腹を覚悟した
大久保遠江守常源(3を選択)
その他、新説の幼少期、織田氏による岡崎城陥落時も、かなりアブなかったと思う。
タタキ武蔵守(3を選択)
信玄が浜松城を攻めなかったのが最大の幸運であっただけ
刑部卿ス~パ~サイアク人(4を選択)
同じ道をたどった家臣が土民に狩られているからこれかと
式部卿ひろ(7を選択)
家康にとって真田が人生の鬼門!
近江守Silvine(1を選択)
地味に最初が一番危なかったのではないかと。
合戦不参加 三加弾正尹(8を選択)
築山殿の侍女に手をつけて、殺されそうになったとき♪
ごん(7を選択)
幸村半端無い❗️
オストアンデル中務大輔(3を選択)
絵まで描かせたのは、三方原くらい
その後、武田氏滅亡後に武田家臣を積極的に召し抱えたのは、その現れだと思う。
sugar3776根室守(7を選択)
熟練の野戦家で成熟した指揮官であった時に死を覚悟するまでに攻めらた。
子龍:兵庫頭(3を選択)
逃げる様を絵に残してるくらいなので余程必死だったんじゃないかと思います。
一無庵ひょっとこ斎(3を選択)
嘘か真か恐怖のあまりに脱糞したという逸話が残っているほどだからね〜
ケンイチ(8を選択)
長男の切腹
雲黒斎(3を選択)
うんこ漏らした自画像
井伊兵部少輔直政(3を選択)
馬上で脱糞するくらいビビったんだから、武田の騎馬隊はハンパなかったんでしょう‼︎
フー甲斐守(3を選択)
武田好きなんでコレですね❗️
兵部大輔長門喫茶(5を選択)
天下を狙える、と思ってもおかしくないのに最後は秀吉に従った、心の大きさで!
西沢岩代守修一(4を選択)
命の危機が迫っていたため。
エダサンゴ(4を選択)
多分戦より、堺から領国に戻った伊賀越えだと思います。
忍びの棟梁をてなづけてやっとたどり着いたとの通説に信憑性を感じます。
アンパンマン(4を選択)
取り巻きも少なく、最大のピンチはコレでしょう。
如月山城守てっち(3を選択)
大敗して浜松城に逃げ帰る時に刹那糞を漏らしたくらいやから、三方原の戦いでしょ。
朧西市佑秀真(3を選択)
家康自身が人生最大の危機と言っていた気が
但馬守さすけ(8を選択)
家臣が二分した三河の一向一揆
しもししゃも(4を選択)
家臣が少なすぎる上、家康も一度は自刃を覚悟したことから
SLmaster(7を選択)
実は7の時に死亡して、その後は影武者説。
7以降、食や女性の好みの変化とか、死因に関しても、健康オタクという言伝えからは信じられないかな?
最も危機…というより実は死んでいた!というのはいかが?
泉地淡路守ばっかんまん(3を選択)
武田軍の強さに恐れ戦き、馬上で脱糞したと伝わり、その時の姿を、しかみ像に残す位ですから。
課長大和守Ver.B(7を選択)
堺に墓所があるので。
【隠者】史学会帰新参(3を選択)
神君脱○敗走、武田がそのまま浜松城を攻めたらおそらく落城していた。
しぐ志摩守(8を選択)
三河国一向一揆
はやえもん壱岐守行動休息中(3を選択)
武田軍との戦いで大敗した三方ヶ原の戦いだと思います。
尻啖え孫市権中納言(4を選択)
三方原も捨てがたいが、やはり少人数での伊賀越え。信長が家康の命を狙うために少人数にさせたという説もあり、相当わずかな供回りでの異国の逃避行だった。
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