大谷吉継が病に冒されていなければ…(2018/05/29)
関ケ原古戦場の大谷軍陣所跡
大谷吉継は、関ヶ原で石田三成に加担した際には既に重い病に冒されていたという。では、もし関ヶ原合戦時に吉継の健康状態が良ければ、戦局にどのような影響を与えたか?
[投票実施期間]2018年05月29日~2018年06月20日
1.決戦前に各地を縦横に駆け回って必勝の体制を作り上げ、決戦では西軍に勝利をもたらした。 |
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2.吉継ができたことは限られるが、少なくとも決戦で易々と小早川軍に敗れることはなかった。 |
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3.史実でも吉継の頭脳はいまだ明晰で、健康状態によって戦局に影響を与えたとは考えにくい。 |
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4.三成と死のうという自滅的な考えには至らず、むしろ全力で三成の挙兵を思いとどまらせた。 |
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5.決戦以前に上杉と徳川の調停を試みて成功させ、家康の天下簒奪の芽すら摘む活躍を見せた。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
田上右京進朝清(3を選択)
この中で一番近いのは3。あの時点でもほぼ満点の働きをしているのに…。
関東管領右大臣グンシン(4を選択)
吉継自身、病で長くは生きられないと思っていたと感じるので最後は友の為に力を尽くそうと考えた事が西軍参戦の最後の決め手になったと思います。
丸山近江守盛慶(5を選択)
健康面で問題なければ要職についていただろうから
家康の勝手を牽制できたと思う。
本多左近将監忠政公(6を選択)
三成と共闘することはなかったと思う
紫瑠美明(5を選択)
秀吉のお墨付きだったから、知財の持ち主だったと思うので色々したと思う
いずみ安房守(6を選択)
三成の挙兵は止められないが、西軍を中心になって動かし違った展開になったかと。西軍勝ちまではきついかもですが、優位に進めて、良い落とし所をみつけたかもしれない。
ゴンタ肥前守.B(1を選択)
ロマン
我こそは眞田左衛門佐幸村(3を選択)
たぶん
ミナリン遠江守(5を選択)
このぐらい出来たかもな〜と思いたい。
越前守くろさ助(6を選択)
影響なしで、史実通り。
右兵衛佐かときん(4を選択)
三成を冷静になだめたはず!
鬼美濃大宰少弐たごさく(3を選択)
かなと
ppy太政大臣Jungle(5を選択)
そもそも決戦には持ち込まなく豊臣政権を維持させた。三成にはない柔軟な交渉力をもって、徳川封じに成功した。
楠木左衛門督正儀(6を選択)
病がなければもっと多くの領地が与えらており。多くの兵を動かすことができたと思われる。関ヶ原は硬直状態となり、長期戦に、、、
東北覇王聖役小角(5を選択)
さすがに吉継だ。
トムトム秋田城介(6を選択)
上杉討伐にいち早く参加し、関ヶ原には西軍で参加ししなかった。
ムラチョ(5を選択)
外交力にも長けていた事からもわかる通り、全力で取り込んだと想像します。
TARKUN式部大輔(4を選択)
大谷吉継公なら、盟友を知り尽くしており、全身全霊で、止めたはず!
樋口上野介(2を選択)
そもそも吉継があそこに陣取ったのは小早川の抑えな訳で、健康ならそう簡単に腹を切るようなことは無かったはず。
刃心流呑舟(6を選択)
鼻水さえ垂らしてなければ三成との友情も深くなってないのでは?
【❖】二代目にゃ~(3を選択)
③の説明の通り!身代の大きさによる影響力は小さい…
京楽秋水石狩守(4を選択)
小早川軍の寝返りを防げたのでは...
平蜘蛛右兵衛督(6を選択)
本当に有能だったのかな?
秀吉が煽てただけじゃないかな?
家康や他の大名に「うちの家臣には優秀なのがいるよ」ってアピールする為に言っただけじゃないかな?
備中守まっぷん(1を選択)
むざむざ負ける戦をしかけたとは思えない。なんらかの必勝作を考えたと思う。
ウツーノ越前守白起廉頗王翦(3を選択)
難しい選択だけど前田勢を北陸に釘付けした戦略は素晴らしいし病は関係無いのでは?
左近将監摂政(6を選択)
心身の状態に関わらず、史実への影響は限定的かな。
音みく中務大輔闇サガン(6を選択)
石田三成を諫めて、関ヶ原合戦自体が無かった。本人は家康と一緒に上杉討伐に向かい和睦、家康は天下を取れずに死亡。しかし、豊臣家がそのまま存続できたかはナゾ。
とみ(1を選択)
これであってほしいなぁ。という夢をこめて。
mas.k上野介61th(1を選択)
病に侵されていないとしても何らかの形で三成と出会っていたと思う
(6を選択)
三成、小早川、家康を説得し、吉継が天下統一するのじゃ〜!!(熱望)
相模守愛洲久忠(3を選択)
3もしくは6。裏切りと寝返りが西軍の敗因で吉継公の健康状態には左右されない。
りょうた(6を選択)
元気なら逃げれた?
その後は三条河原かな
mootze(3を選択)
勝負は時の運、良い人は、もっと活躍して欲しかった
兵庫頭うっつぁん(4を選択)
大谷吉継の死は石田三成にとって最も痛手となったはず。
弾正大弼ずん(6を選択)
そもそも、病に犯されてなければ、茶会の一件が無かったため、三成と友情はなく、東軍にいたと思う。
中垣内征夷大将軍瑞賢(3を選択)
健康状態がどうあれ、大谷吉継が大局を左右できたとは思えない。
播磨屋大蔵卿(4を選択)
どの段階に遡るかによりますが、秀吉没前から健康状態が良好であれば、史実通りの西軍挙兵とは違う筋書きになったのでは。
村上左馬允景平(3を選択)
小早川の押さえに回る必要があったから、駆け回ったりはできなかったのでは…ただ、脇坂安治らの裏切りは防げたかもしれない
เงาะ駿河守ランブータン(4を選択)
石田三成の真心に接する機会もなく、家康討つべしとなったかどうか。また時流も読み、敗北も予測した刑部は死に場所を見つけようとはしなかったと思います。
かぜはふり(3を選択)
関ヶ原に来た以上、負けは決まりだし、大差はなかった。四半刻程度時間を稼ぐのが限界。
役行者河内守武さん(4を選択)
これが、妥当と思うのですが。
(3を選択)
大差に影響はなさそう。
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