桶狭間で豪雨が降らなければ…(2018/04/03)
『尾州桶狭間合戦』(歌川豊宣画)
桶狭間で圧倒的大軍を率いながら織田信長に討ち取られた今川義元。戦い当日、突然の豪雨が信長に味方したとも言われるが、もし晴天が続いていたら戦いの勝敗はどうなっていたか?
[投票実施期間]2018年04月03日~2018年04月25日
1.豪雨という天運が信長勝利の主因なので、寡兵の織田軍はむしろ玉砕していた可能性が高い。 |
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2.一時は今川軍を混乱させても時間の経過とともに今川優勢となり、信長は退却を強いられた。 |
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3.今川本隊の急襲には成功してもすぐに他の部隊が気付き、義元を討ち取るには至らなかった。 |
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4.豪雨によって行動が秘匿できたわけであり、晴天であれば信長は奇襲策を断念して撤兵した。 |
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5.天候の影響は小さく、勝因は信長の分析と英断に尽きるので、史実と変わらぬ結果となった。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
Terry左衛門尉 (5を選択)
信長は梁田信綱など諜者を盛んに使ったし、伝えられている桶狭間での今川軍のだらけぶりを勘案すると、やはり奇襲は成功したのでは?
内藤志摩守竜之(6を選択)
くだって松平と一緒に今川の武将として戦う信長もみてみたい。
へこ(6を選択)
雨が降らずとも、何らかの手を尽くして急襲して討取っていたと思ふ。
小魔多右馬頭太郎左衛門(3を選択)
天候をも味方につけた運の強さも信長の実力であり、天候が違っていれば、このタイミングでは義元を討ち取る事ができなかったにせよ、何か違う方法、結末で天下を驚かせたに違いない。
菅原中務少輔忠宗(6を選択)
迂回急襲説が覆されつつあるので、天候の影響はさほど大きくないと思います。
かといって正面攻撃説を採ると信長の英断というのも微妙…というわけでその他で。
月臣紀伊守秀水(1を選択)
運も実力の内
鬼美濃大宰少弐たごさく(4を選択)
でもいずれ義元は信長に敗れると思います。
【:::】弾正忠一徳斎幸綱(4を選択)
1か4そもそも豪雨によって気付かれずに義元本陣に近づけたのでこの2つ以外は考え難い。
当時の信長の状況を考えると出兵はしたものの撤退して今川に降るのではないか
シュレ男伊豆守(1を選択)
雨ではなかったら、今川軍の圧勝で玉砕で終わっていただろう(^_^)v
右京大夫ウッチー(5を選択)
最近は、奇襲説でなく、正面攻撃説が優勢。
聖戦士尾張守ヒロフミ【✤】(5を選択)
各個撃破は戦略であり、初めから大将の首のみを狙っていた為、結果は変わらないと思う。
但し、被害は大きかっただろう。
knights34治部少輔(1を選択)
寡兵すぎかと。
音みく中務大輔闇サガン(2を選択)
大軍を相手に少数でも戦うかもしれないと今川義元が思うかどうかにもよります。少なくとも義元の首は無理だと思います。
隼人正のぶちゃん(3を選択)
信長の運強さがわかるね!豪雨なければ、絶対失敗している!下手したら信長も討ち死にしている!
ゴンタ肥前守.B(5を選択)
じゃない
哲悟朗(2を選択)
倍以上の劣勢はまともにぶつかり合えば必ず負ける。少しでも痛撃を与える為の遊撃隊だったと思われる。対して義元は極めて手堅かった。なぜ出陣したか理解出来ないだろうがすぐに盛り返して信長は撤退しただろう
鞍馬佐渡守TENG(5を選択)
雨が降らなければ、夜討ち朝駆けにでも切り替えたのではないか。
能登守あるて(6を選択)
田楽狭間を抜かれたら、大高や鳴海という砦や城が続くので、本隊の駐屯地が何処になったのか、と考えると悩ましい。
が、連勝で慢心していた+飲酒中の奇襲、では義元が討ち取られた可能性は高いのでは?
島津薩摩守忠将(5を選択)
移動は雨に紛れた可能性があるが、勝負はやんでから。迂回部隊の攻撃が決め手と聞いた気がします。
ジョウ陸奥守(5を選択)
損害は多少でたかも、信長の英断が大きい!
ボルドール(4を選択)
その後、今川は上洛を果たす
居眠右京大夫狂四郎(6を選択)
晴天なら晴天なりの考えが出たと思う。
それが何かはわからないが。
Alfonso中務卿(5を選択)
最近の研究では、お互いに陣をたててぶつかり合った結果という説も出てきている。今川は東西に伸びきっていたから天候というのはあまり関係ないかと。
もん主税頭減量中(3を選択)
運も味方したってことだろうな
K910大膳大夫軽虎兵(3を選択)
佐々・千秋の奇襲、織田の劣勢、豪雨、敵地で油断は考えられない。奇襲先が偶然本隊で天候の利が首をもたらしたと考える。晴天ならば、各地で襲撃を繰り返し、戦況の好転を待つ?
常滑志摩守トコタン(5を選択)
暑さで甲冑を脱ぐ程、今川軍は油断していたので、結果は同じやと思う。
【❖】二代目にゃ~(1を選択)
進軍が秘匿出来なければ、早期に発見され、寡兵の織田軍は進軍を阻まれ、取り囲まれて玉砕の憂き身に遇うことに成るだろう!
しぐ志摩守(6を選択)
6月なので、雨が降らなければ大雨になるのを待って出撃するのでは。
我こそは眞田左衛門佐幸村(6を選択)
雨を予測して戦ったはず。雨が降らなければ、桶狭間では戦っていない。
さるくん(6を選択)
今川軍の近くに行けず織田軍が圧敗した
丸山近江守盛慶(1を選択)
悪天候が招いた義元の慢心だったと思います。
信長としては打ってでるしかなかっただろうし、晴天なら奇策は通じなかったでしょう。
関東管領右大臣グンシン(5を選択)
桶狭間の戦いでは雨は降ってなかった説を聞いた事があります。情報を得て民の祝勝の振る舞いで油断させ極秘に本陣近くまで展開出来た時点で勝利は出来たと思います。
真田左大臣もきち(5を選択)
実際に見てないので雨がどの程度降ったのかわかりません。
小山四郎常繁(5を選択)
桶狭間の地形に陣を置いた時点で決まっていたのではないかと。
(仮に本陣近くに人が多くいられない状況、地形ならば、突撃する織田に機があると思いますので)
齋藤美濃守道蚕(5を選択)
今川に兵力優勢の油断があった。このため軍団間の連携も十分出来ず、史実に近い結果になったのでは。
ちらきぬ武蔵守けてんち(6を選択)
義元は討ち取るも織田軍の被害甚大。
左近衛大将銀英2タカタカタカ(3を選択)
豪雨により、地面が沼のようになって他部隊が駆けつけられなかったと思うので、これ。
越前守くろさ助(2を選択)
そもそも今川に勝ったのはまぐれといって良い。信長もラッキーアイテムとして左文字を生涯大事にしたんでしょう。
備中守不如帰(`_´)ゞ(5を選択)
油断大敵(`_´)ゞ
【G6】OROKA参議(5を選択)
そもそも、奇襲説についても最近は異論があるわけで。
飲んだくれ山城守ジョニィ(5を選択)
綿密な準備があったと思います。でなきゃ下ってる。
シバヤン左兵衛督肝胆相照(2を選択)
野戦の怖さ•••信長勝利の原因というより義元敗因は簗田正綱の義元本陣の場所判明の通報が一番、二番に豪雨、三に兵力を分散させた義元の油断。
野呂利左衛門督休三(2を選択)
信長公記がどこまで信頼できるかがあるが、それを額面通りに受け取れば、信長は義元本陣を疲れた先陣と誤認していた可能性がある。山上に構えて疲れてもない同数以上の相手に勝てないのでは。
mootze(3を選択)
勝負は、時の運、実力があっても運に恵まれなければ負けます
三男坊.k大学頭(4を選択)
やっぱり、別なチャンスを待ったと思う
水冷山賊左兵衛尉信繁(5を選択)
今川側の油断が大きかったと思われる
おとも左近衛中将様(6を選択)
豪雨がなければ強風。豪雨がなければ義元の体調不良。津波すら来るかもしれない信長の強運だと思う。
美濃守不識庵拾玖(6を選択)
桶狭間は奇襲戦ではなく、ただの遭遇戦であり、今川軍の前衛が予想外に大崩れして、混乱が本陣まで波及した結果、義元が討ち死にする事態となった説が最近は有力なので、天候は関係なかったと思われる。
楠木美濃守五郎衛門(5を選択)
雨のおかげで短時間で結果が出たけど、晴天でも史実より時間はかかっても、同様の結果になっていたと思います
(5を選択)
今川の油断が原因だと思うので天候はあまり大差に影響はないかと
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