元親が関ヶ原の時に生きていたら!?(2017/01/20)
長宗我部元親の墓(高知県高知市)
関ヶ原の戦いのおよそ1年前に他界した長宗我部元親。跡を継いだ盛親は関ヶ原で西軍についたことから改易されたが、元親があと数年存命ならこの難局をどう乗り切ったか?
[投票実施期間]2017年01月20日~2017年02月09日
1.秀吉と親密だった元親もやはり西軍を選択し、史実と同じように改易の憂き目にあった。 |
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2.史実より積極的に西軍方として行動したため、改易に止まらず三成らとともに処刑された。 |
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3.関ヶ原本戦に西軍主力として参戦し、家康を破って西軍に勝利をもたらす働きをした。 |
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4.早い段階から東軍方としての旗幟を鮮明にし、その勝利に貢献して大幅に加増された。 |
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5.黒田如水のように東西を両天秤にかけ、その間にも四国内で独自の軍事行動を展開した。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
イダッチ内膳正ヨッチャン(1を選択)
晩年は大分判断力や気概が衰えていた様子であり、如水の様な活動は期待できない。情勢を見て判断するのでは無く、惰性で西軍に付いたのではないか。
神田土佐守親泰(5を選択)
元親は常に自国の事、民の事を一番に考えていたので、その時どきに合わせた行動を行ったような気がします。
✿MT✧能登守(5を選択)
四国に執着して欲しいのでこれかな。
黒田大宰大弐ななつ星(1を選択)
5のような気もしないでもないが、大勢は変わらないと思う。
真田左大臣もきち(1を選択)
盛親を跡取りにしたのは元親だから、若いころの切れはないので歴史はかわりません
大納言たけりゅん(6を選択)
家康に与したいが仙石は嫌い、ということで東西どちらに付くか迷い続けて結局国替か改易のような気がする。
大空左衛門佐旅人(6を選択)
5が近いようにも思いますが、嫡男・信親を失って以降の元親では、さしたる動きができなかったかも。ただ元親が存命だったら盛親の動きが違い、関ケ原の戦の行方は、長宗我部隊の位置もあってどうなったか!?
織田備前守信長(5を選択)
希望をこめて5.。
安倍相模守宗任(6を選択)
信親が生きていたらまだ英気も衰えておらず、東軍に加担。
信親が死んでたら覇気なく成り行きで西軍。
春日弾正忠虎綱(6を選択)
西軍につくが戦後の動きにより改易を免れるのでは?
相模守愛洲久忠(6を選択)
3もしくは6。嫡男信親を失った後だけに、関ヶ原の戦いでどれほどの働きをするかは未知数も、かつての『鬼若子』は西軍主力部隊として多大な戦果を上げそうに思います。
毛利豊前守勝永(6を選択)
盛親は流れで三成方についてしまうが、その後の処理に往年の鋭さを以て当る。減封国替えされるが、改易だけは回避。大名家といての長宗我部氏を存続させた。信親死後に積極的な動きをするイメージがない。
てるちゃん内大臣(6を選択)
島津家と同じように流れ上、西軍に属してしまうが合戦においては西軍というより長宗我部軍としての動きをしそう。東軍に属すなら死ぬ前に遺言等を残していたはず。
玉山左衛門佐晴弘(6を選択)
長宗我部家の改易は浦戸一揆が原因で、浦戸一揆は盛親が兄を殺したことによるのが原因なので、元親が生きていて関が原で同じ行動をしたとしても改易は免れた。
左衛門尉しのぞー(6を選択)
どちらにも付かず何もしなかったかもしれないな、と。
晩年の元親の判断力はかなり衰えていたので、そもそも関ヶ原前後の動乱の重要性を認識できたかどうか
綱島出雲守八雲(1を選択)
元親に影で蠢く小早川秀秋の動きを見破れたか否かです。流石に無理だったと思う。
サマルトリア王子(1を選択)
耳川以降の元親は大勢に影響を与えるような存在ではなかったと感じるので、どうにもならなかったと思います
㊤常陸介iff(5を選択)
こうあったら面白い。
左衛門佐ヒロ(6を選択)
信親を亡くしたショックから立ち直れなかった事から存命であっても旨く立ち回れなかったのではないでしょうか?
しまっこ♪石見守(4を選択)
元親は秀吉軍に敗れて、領地を大幅に減らされているので、家康方に味方するに違いない!
征夷大将軍琉雨(5を選択)
天秤にかけた結果参戦せず、領地を減らされるが家は存続した。
(5を選択)
なんかそうであってほしい
(4を選択)
希望を込めて。
羽柴東市正且元(6を選択)
盛親が軍勢を率いていき、元親は国元にいそう。盛親は史実とそう変わらない行動をし帰ってくる。この後史実と違うのは元親が本領安堵になるようになんとかするでしょう。
【無】万年同心武蔵守三四六(6を選択)
仮に、信親も存命だったとしたら、他の西国大名と同様に西軍についたとしても、島津や立花のように改易は免れたかもしれないと思います。
日向夏隠岐守(3を選択)
希望。実際は耄碌して西軍に混乱をもたらしてからの改易。
かめ〜右兵衛督(6を選択)
信親が戦死したあとの元親では、、、
堤玄蕃允晴孝(4を選択)
盛親が東軍を考えていたことをみても、元親は冷静に東軍に付き、戦後は九州や山陰で加増転封が妥当かと。
ともとも(5を選択)
やっぱりこれでしょ。
大久保遠江守常源(2を選択)
晩年はだいぶ耄碌されていたようなので。
西美濃守織部正(5を選択)
こうあってほしい、という願い?を込めて。
でも、2と3の間かな?
いちごう(4を選択)
機を見るに敏。
ark主膳正(6を選択)
元親と三男親忠が西軍、盛親が東軍に別れたのではないか。盛親は東軍につきたかった、とか聞いたことがあるので。真田的な。
別れたので元親と親忠が改易、盛親土佐安堵だったのでは?
我こそは眞田左衛門佐幸村(3を選択)
真田と長宗我部は西軍の両輪です。
高円寺武蔵守たけし(5を選択)
これなら面白いかな
もっくん勘解由長官3号(5を選択)
信親死後は呆けていたので大したことはできなかったと思いますが。
その意味では信親が生きていた方が面白いかも。
せしえもん中務大輔(4を選択)
信親ショックを払拭できているかいないかでも結果は大きく異なる。選択は立ち直ったものとして。家康とは小牧長久手で共闘した経緯があり、家康の誘いに乗って奮闘したと想定する。
紅い征夷大将軍いしじぃ(5を選択)
元親の四国統一の野望と外交能力の高さを考えたら実行できたでしょう。
しかし、その後に面従腹背が徳川家康にバレて厳封されるか………
聖戦士尾張守ヒロフミ【✤】(3を選択)
毛利軍の後ろに布陣していたため、積極的に参加出来なかったが、元親なら布陣が違っていた可能性があったかも?
消極的だった島津軍も動かして、西軍の勝利になったかもと言う、希望的妄想です。(≧▽≦)
京楽秋水石狩守(6を選択)
2か3だけどちょっと違う
音みく中務大輔闇サガン(6を選択)
西軍として参戦するも事前に家康と内通して動かない。終了後土佐一国を安堵されるがほどなく死亡。その後因縁つけられ他国へ減封。
出羽守拓庵(3を選択)
希望です。
やまげん (傾奇者)(5を選択)
元親はやる男
振分髪正宗(4を選択)
仙石秀久の独断が溺愛していた信親の討ち死の直接的な原因だから豊臣の西軍にはつかないかと‥四国統一時の聡明な元親では無いので如水の様な行動は取れないと思う。豊臣憎しの一念で東軍方に参戦。
石田大宰帥いしのすけ(6を選択)
信親が死んでから おかしくなっていたので、あまり大勢に影響ないと思いますが、長宗我部家は生き残ったかもしれませんね
梨清(6を選択)
西軍につき、毛利同様、減封された。
七七大炊頭(6を選択)
取り敢えず関ヶ原は家康と親密だったから、東軍で勝ち、土佐安堵+四国内で一国程度の加増。で、元親の寿命は「あと数年」なので、亡くなった後、お家騒動で改易。東北の最上氏と似た境遇になりそう。
琉球守時行(5を選択)
カンベイのように
後志守ゆま就(5を選択)
野心的な元親であって欲しい
自称武蔵守 本当は木工允(5を選択)
元親「秀吉死んだぜーい!これで四国を好きにできる(°ω°) クックックッ西軍の四国勢力を全員根絶やしじゃー!(えっ関ヶ原終わった?(°〆°)よっしゃ俺ら軍の勝ちだ〜(^^)って感じ?
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