唐山東城
唐山東城([稲居塚城 周辺城郭])
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唐山東城の口コミ情報
2022年06月04日 大内周防守毛利
唐山東城(からやまひがしじょう)と読みます。宇美町の井野山の山頂にあり、西にある中央の峰を下城、そしてその西側にある西峰を「調馬場、的馬場」と呼ばれる唐山西城があります。唐山西城は道がなく、藪漕ぎになるため行きませんでした(近くに採掘場があるため注意)。唐山西城の説明は便宜上、こちらの東城の方にコメントさせていただきます。
歴史は「豊前覚書」によると1568(永禄11)年に箱崎宮座主で大友宗麟の従兄弟の麟清が高橋鑑種の籠る岩屋城の向い城として築城されたとされます。また宇美八幡宮側の記録によれば1574(天正2)年に宇美八幡宮大宮司、神武秀宗(または先代の秀良)が築城されたと伝わります。この両者の城は全く同じ城なのか、もしくは東城、西城どちらかである可能性がありますが、どちらの城を指しているのかまでは分かりません。城主としては東城は安河内備前と桜木主水、西城は神武修理亮が居城としてます。築城者である箱崎宮座主にしても宇美八幡宮側だとしても大友側が築城したことには変わりはありません。後に唐山城(東、西ともに)は立花氏が接収し、東城は箱崎宮座主、西城は由布氏、大津留氏が在番として入城してます。
唐山東城は東西に長く伸びており、山頂付近の尾根部分は林道や駐車場によりかなり削平を受けており、尾根中央に堀切がわずかに残る以外は不明です。林道がヘアピンカーブする付近には畝状竪堀が5条から7条ぐらいあり、ヘアピンカーブの先端部分には虎口らしき土の盛り上がりが確認されます。駐車場と山頂に向かう階段の下段部分に堀切があり、特に北側の堀切からは横堀がわずかに派生しており、北の帯曲輪らしき地形につながっています。山頂まで行く途中の階段の両サイドや五穀神の石碑があるところに畝状竪堀があるらしいですがシダや藪に覆われて確認不可となっています。もしこの縄張り図通りなら城としてはかなり小規模でありながら、高い防御力を備えた城だと言えます。筑前大友五城の立花山城と宝満山城を結ぶ地点なのでこの城の重要さを知ることができます。
写真
①登山道入口の看板
②畝状竪堀
③ヘアピンカーブの虎口らしき地形
④堀切の南側
⑤高鳥居城(右端)と立花山城(真ん中)
⑥腰曲輪と主郭虎口
⑦竪堀と横堀
⑧畝状竪堀