羽柴秀長陣
羽柴秀長陣([太閤ヶ平陣 周辺城郭])
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羽柴秀長陣の口コミ情報
2025年12月09日 ᴿᴱᴰ副将軍
第二次鳥取城攻めの際に羽柴秀長が布いた陣跡⚔
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1581年に羽柴秀吉による第二次鳥取城攻めの際に築かれた陣城であり、羽柴秀吉の弟である羽柴秀長が布陣したとされます。
1580年、羽柴秀吉による第一次鳥取城攻めにおいて、3か月の籠城戦の末に鳥取城主の山名豊国は和議により降伏し織田信長に臣従します。
しかし、直ぐに毛利氏が鳥取城に来訪し山名豊国は再度降伏。
その後、山名豊国は織田信長との内通が発覚し追放。山名氏の旧臣は毛利氏に付き鳥取城には吉川経家が入城したことにより、羽柴秀吉は再度の鳥取城攻略をすることとなりました。
羽柴秀吉は米を高値で買い占め、毛利勢の兵糧供給路を封鎖。さらに鳥取城の兵は約1,500人に対して、付近の農民2,000人以上を城に追いやり、鳥取城の人数を大幅に増やします。
羽柴秀長は副将格として、鳥取城の北西に位置する大平山の山頂に陣を布き、鳥取城への海側からの補給ルートや北側の逃走ルートを完全に遮断するという重要な役割を果たしました。
徹底的な兵糧攻めにより凄惨な飢餓となり、吉川経家は城兵を助けることを条件に開城し自刃。
陣城であり戦いが終わると役目を終えました。
見所
鳥取城からは北東、本陣である太閤ヶ平を築いた本陣山からは北西に位置する大平山に築かれています。
大平山は太閤ヶ平から西へ張り出した尾根上にあり、上述の通り鳥取城への海側からの補給ルートや北側の逃走ルートを押さえる重要な場所です。
尾根を削平した東西に細長い縄張りで、西端から北西、東端から南東にそれぞれ巨大な竪堀が伸びており、鳥取城を包囲する防衛ラインを形成しています。特に南東に伸びる竪堀は二重です。
東には竪堀に対して出撃する虎口が開口しており、竪堀の接続部周辺には土塁が付いています。









