音羽城

音羽城([日野城  周辺城郭])

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音羽城の口コミ情報

2022年12月17日 RED副将軍


六角氏重臣である蒲生氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

応仁・文明年間(1467年〜1486年)に蒲生貞秀により築かれたとされます。
蒲生氏は、藤原北家秀郷の系譜で平安時代から近江国蒲生郡で勢力を拡大していました。
源平合戦の際には蒲生俊賢は源頼朝に付いており、南北朝の争乱期には蒲生秀朝は足利尊氏に付き、戦国期には近江国守護である六角氏の重臣として勢力を維持拡大しました。
史料に出てくる蒲生館が音羽城であると考えられています。
音羽城は三度侵攻を受けていることが史料により確認されており、一度目は1492年に将軍足利義稙が六角高頼を攻撃した際、二度目は1495年に美濃国守護代の斉藤利国が京極氏とともに六角高頼を攻撃した際、三度目は1502年に六角高頼の家臣であった伊庭貞隆が謀反を起こし、六角高頼が逃げ込んだ音羽城を伊庭貞隆は追って攻撃したときの三度とされます。
蒲生貞秀の嫡男の蒲生秀行は足利将軍家に、次男の蒲生高郷は近江国守護職の六角定頼に、三男の蒲生秀順は幕府管領の細川氏にそれぞれ出仕しました。しかし、1513年に蒲生秀行が早逝すると、蒲生秀行の嫡男である蒲生秀紀と蒲生高郷の間で家督争いが勃発。蒲生貞秀が死去すると蒲生高郷は蒲生秀紀への攻撃を開始しました。戦国の世では多い叔父と甥の家督争いです。
近江国守護職の六角定頼は蒲生高郷に加勢したため、蒲生秀紀は降伏。この争いのあと蒲生高郷は日野中野城を拠点とし、音羽城は廃城となりました。

見所
現在は音羽山公園となり駐車場も完備。
しかし一方では採土によりかなり改変されている様です。主郭東側の横堀状のものはトロッコ道であり城郭遺構では無いとのこと。
一方で主郭南側は遺構が残存しており、主郭と小郭を挟んで南出丸が空堀で区切られています。

2021年06月07日 左近衛中将かめかめ


【駐車場】
城郭北に広い駐車場あります。
【登城口】
県道182号沿いを南西に歩けばすぐに見つかります。

登城を始めて5分程で城郭北西の出曲輪(阿賀神社)に到達します。
遺構は、北西出曲輪付近と南東出曲輪付近に堀切や横堀などが確認できます。主郭周辺は改変されていますが、庭園、井戸、土塁など確認できます。

写真1:登り始めてすぐに現れる横堀状の遺構
写真2:北西出曲輪への虎口
写真3:北西出曲輪南の巨大堀切にかかる土橋
写真4:北西出曲輪南の巨大堀切
写真5:南東出曲輪を囲う横堀からの竪堀?
写真6:南東出曲輪南にある抜け穴。主郭へつながっていたらしい
写真7:南東出曲輪南の細い土橋。とその他デコボコ
写真8:南東出曲輪下の幅広い堀?に段差あり

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