鎌掛城
鎌掛城([日野城 周辺城郭])
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鎌掛城の口コミ情報
2022年02月08日 昌幸近江守晩秋リア旅
六角&織田家臣時代の蒲生氏の城だった鎌掛(かいがけ)城。
城の歴史については先人様が詳しく述べられていますので、そちらをご覧になって下さい。
車は、麓の居館跡の隣に平地があり、そこに停めました。獣除けの箱罠が目印です。
居館跡に「伝大手道」がありそこから登ります。紫のビニール紐が付いています。ぼーっと歩いていると迷ってしまうかも…
登り切ると屏風岩の上に出ます。後は尾根を進みます。鎖を使った登りなど、なかなかスリリングな所もあります。約40分で主郭到着でした。
城のつくりは、主要部(I郭・II郭)から見下ろす位置に井戸があり、それを囲むように東西に尾根が伸びます。それぞれの尾根には郭が数段設けられています。
蒲生氏は六角家臣の時代には、観音寺騒動(六角氏の内紛)の仲裁に入ったり、その後には織田・豊臣についたりと、時代を先読みしたなかなか凄いことをやってます。
氏郷が有名ですが、そのお父さん・お爺さんの時代の蒲生を感じるこの城を楽しんでみてはいかがでしょうか。
【写真の説明】
①登城路にある堀切と土橋
②主郭背後の堀切。主郭には鎖を使って登ります。
③主郭土塁
④I郭-II郭間の堀切
⑤II郭
⑥II郭から井戸へ向かう虎口
⑦井戸。足元滑ります。ホールインワンしないよう注意して降りました。
⑧西尾根堀切。西尾根は広めの郭が何段か連なっていました。
2021年09月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
鎌掛城(かいがけじょう)は日野中野城の南東約2.9km、北砂川と滝谷川の合流点に向けて北西へ張り出す山塊、標高327mの山頂に主郭が存します。北麓の滋賀県道182号線からの比高は240m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている北西麓の鎌掛山屋敷(鎌掛城を詰城とした居館である。)を目標に設定して下さい。そこら辺の原っぱに車も捨てられます。この鎌掛山屋敷から登城路が付いており、「城山登山道→」の案内板も立っています。
築城年代は健武二年(西暦1335年)、築城者は中野左衛門尉清信とされ、当初は砦として築かれた事が始まりとされています。その後の文亀年間に蒲生惣領家当主蒲生秀行が音羽城の支城として現在残る縄張に近いものに改修したと推測されます。
蒲生惣領家の家督争いに際し、六角定頼の支援を受けた惣領家当主蒲生秀行の次弟蒲生高郷は秀行の嫡男である秀紀の籠る音羽城を攻囲し、約8ヶ月に及ぶ籠城戦の末に定頼の仲裁で和議を結び、嫡男の定秀(賢秀の実父、氏郷の祖父っす。)に惣領家の家督を継がせる事に成功、これを受けて秀紀はこの鎌掛城に退去しましたが、大永五年(西暦1525年)同城で高郷、定秀の刺客によって毒殺されました。氏郷以降の相次ぐ後嗣の早世は陰謀を禁ずる道家思想的に言えば先祖の罪悪によるものなんでしょか。
お城は素晴らしいです。尾根筋には小郭や堀切、土橋なんかが明瞭に確認出来ますが、山頂部を中心とする主郭部の複雑な構成はちょっと自分の経験に無いものでした。主郭部は段付きで土塁で細かく区画され、水の手(井戸の石組みが大変素晴らしい。ただ貞子が出て来そうで怖いです。)に至る虎口に代表されるように要所で数箇所虎口が切られていたようです。又、主郭部から北側に設けられた三方土塁囲みの腰郭には思わず唸らされる事でしょう。そして城域は意外にも奥が深く、概ね3つの区画に大分する事も可能だと思います。
蒲生氏関連の優れた城館の一つです。鶴千代ファンは日野中野城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。又、城山には国の天然記念物である鎌掛の屏風岩なんてのもありますが、藪ってるしビューポイントに行くのが非常に困難(怪我するわ…)なので無視しましょう。
2021年09月04日 【城郭道】たっきー
鎌掛城/かいがけじょう(滋賀県蒲生郡日野町)
【概要】
別名・貝掛城。北砂川上流域の城山にある。山頂の主郭は小さく、2本の北東に延びる尾根は幅広く、大規模な曲輪が見られる。山腹に長い帯曲輪がある。
南北朝時代に蒲生氏の支城として築かれ、1593年に廃城となったと伝わる。