志知城

志知城([養宜館  周辺城郭])

養宜館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「志知城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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志知城の口コミ情報

2020年11月28日 歩律淡路守彦蔵馬楠


本丸の東、外堀と大日川の間に、志知城主野口孫五郎(菅長宗)建立の伊勢神社が在ります。
加藤嘉明が、水軍を率いて出陣の際に、戦勝祈願していきました。
内堀外直ぐに鳥居、真っ直ぐ参道?(馬場)が外堀を貫き、川そばの神社まで繋がっています。
車で神社境内に入るのは、道が細いのでお勧めしません。

野口則守 【淡路国十人衆】の一人
野口弘宗 則守の子
野口長宗 弘宗の子
弘宗若しくは長宗は、養子入りした、三好長慶の末弟冬長であるらしい。



2020年11月19日 歩律淡路守彦蔵馬楠


志知城本丸の南、内堀と大日川のあいだに声明寺が在ります。この境内に寺の由来について書かれた石碑があるのですが、ここに少し志知城についても書かれています。

志知城主 菅氏(野口氏)の菩提寺です。

2020年11月18日 歩律淡路守彦蔵馬楠


城に駐車場はありません。停めるには、近くのスーパーマルナカ(道挟んで城の北側)が良いかも?城の周辺は細い道が多く誤侵入すると(脱輪等)危険です。マルナカの駐車場脇には、外堀の一部がチョビットだけ残っています。樹木、竹藪鬱蒼としわかり辛いです、曲輪や堀の形は本丸に有る案内図で脳内補完して下さい。宅地や畑になっている部分が多いです。薮蚊も多いです。写真は北側内堀。東側外堀。南側内堀。北側内堀②。
マルナカの更に北、川の蛇行部、三日月湖状の地形と、付近に真っ直ぐの水路在り。船溜りであったようです。

後に、川口の叶堂に城を移します。
川口から約3kmも内陸で、「こんな不便な水軍の城はなくなって当然」「加藤嘉明はなぜ不便な内陸の水城を使い続けたの?」等の声もあります。
土地が低く、満ち潮で川を遡上出来ました。
内陸で十分な土地も確保出来ます。
守るべき領民や田、城下町もありました。
三原平野は流れ寄りで、内海があり船の航行に不便はなかったようです。地震で浅く成るまでは。

志知城に使われていた石垣の石も、叶堂城に使われたそうです。
叶堂城の、復元石垣のその石も、ひょっとしたら、志知城の石垣だったのかも知れませんね。

2020年11月17日 歩律淡路守彦蔵馬楠


菅氏の城。後に本拠地の地名「野口」を名乗る。鎌倉時代館を建てる。室町幕府、淡路国守護細川氏に従うが、秀吉の淡路攻めで、黒田孝高、加藤嘉明と城主が変わり、九州、小田原、朝鮮と水軍出兵の拠点となる。
後、加藤嘉明が戦功により、加増転封 伊予に移ると、秀吉の直轄となり、代官三宅丹波守、次いで、石川紀伊守を置く。
地震に因り、大日川の水深が浅くなり、より川口に近い「叶堂」に城を移す。


写真は
本丸の下北側から。【裏門跡地】より内堀内
〔設置された案内板によると〕
平地は二の丸。案内看板の在るところは本丸・二の丸の境界あたり。
案内板の右に少し見える林、竹藪は本丸。
向こう(左と奥)の竹藪は二の丸と内堀の境。
本丸と二の丸は内堀に囲まれています。
【案内板】
【裏門から二の丸②】

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