石清水八幡宮
石清水八幡宮([淀城 寺社・史跡])
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石清水八幡宮の口コミ情報
2021年09月02日 ko+
ふと山城国の地図を眺めていて、軍事拠点があったのかな?と思った場所の一つがここ。
石清水八幡宮が鎮座する男山です。
仁和寺の法師が念願であった石清水八幡宮を参拝したが、賑やかだった山麓の神社を本宮と勘違いし、山頂の本宮の参拝をせずに帰ってきてしまった、徒然草にも登場する石清水八幡宮です。
石清水八幡宮のある男山付近は、摂津国との国境、桂川・宇治川・木津川の三川が合流、交通の要衝、合戦の舞台としても登場します。
太平記には、赤松則村が京都への交通を封鎖する為に陣を置いた、北畠顕信が立て籠った、後村上天皇が麓に陣取り、その後山上へ避難した、とあり、南北朝時代には京都への関門として、争奪の対象となっていた事が記されています。
更に時代を遡ると、桓武天皇が烽台を設けたと言われます。
ただ明確な場所は不明、男山城、八幡城と呼ばれた城は、山頂に限らず、山腹、山麓、周辺一帯を指していたものと考えられます。
山頂から山麓にかけ残る、坊跡と思われる多くの平坦面が、これらの舞台だったのかもしれません。
写真は
①国宝本社楼門、廻廊
②鬼門封じ隅欠きの石垣
③坊跡と思われる平坦面
④⑤⑥坊跡の石垣
⑦男山展望台より北東方向を望む。遠くに京都タワーを確認できる。
⑧織田信長寄進と伝わる信長塀
創建以来、京都の裏鬼門を守り、武運長久の神様として多くの武将達が篤い信仰を寄せた石清水八幡宮。
合戦の舞台の一つとして訪ねると、また違った一面が見えるかもしれません。