本圀寺跡

本圀寺跡([二条古城  寺社・史跡])

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本圀寺跡の口コミ情報

2024年03月02日 源山城守@ポンコ2…


本国寺は、鎌倉から京都に移り、後醍醐天皇の勅願所となるなど朝廷の庇護を受けてました。御所からみて坤の裏鬼門にあたることも、その背景にあるようです。また、四祖日静上人が足利尊氏の母方の叔父で、足利将軍家も庇護してきました。

1536年の天文法華の乱で焼討ちに遭い焼失し、堺にある末寺の成就寺に避難してました。1542年に後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、本国寺は1547年に六条堀川の旧地に再建されました。

数年前の大河ドラマ「麒麟が来る」でも出てましたが、1568年上洛した足利義昭の仮居所(六条御所)が本国寺に置かれました。1569年には三好三人衆が仮居所を襲撃した本国寺の変が起き、織田信長による二条城(二条古城)築城のきっかけとなりました。フロイスの「日本史」の記載によれば、大河ドラマのように、二条城築城にあたって、本国寺の一部の建物を解体し、二条城に運んで再び組み立てられ、また屏風や絵画などの什器類までも再利用されました。

本国寺の寺地は、北は六条坊門(現・五条通)、南は七条通、東は堀川通、西は大宮通までの広範囲を占めていて、伏見城の血染め床板が本殿内天井に使われている瑞雲院、松林院、一音院、詮量院、了円院、勧持院、松陽院、林昌院、本妙院、智妙院、本實院、真如院、了光院、智了院、智光院、久成院の塔頭16院がそのエリアにありました。その後、本願寺造立のため、豊臣秀吉の命により寺地のうち南側の二町を本願寺に割譲しました。

加藤清正や徳川光圀が篤く信仰し、徳川光圀から一字与えられ、本圀寺となりました。江戸時代は、朝鮮通信使の宿舎となったりし、幕末には水戸藩主徳川慶篤に率いられた尊攘派藩士が駐屯し、皇室や徳川慶喜の警固に当たって本圀寺党と呼ばれたそうです。

1971年に六条堀川から山科区の天智天皇陵北側に移転しましたが、塔頭16院は旧地に残り、今は堀川通と万寿寺通の交差点付近に大きな石碑とともにあります。室町から昭和にかけ、いろいろ苦労が続いたお寺さんでした。フォトは、石碑、案内板、塔頭の瑞雲院や久成院です。

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