一色城
一色城([牛久保城 周辺城郭])
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一色城の口コミ情報
2025年07月16日 尾張守たまきち
室町時代の永享11年(1439)、一色刑部少輔時家が築城。西尾城の吉良俊氏に従属した。
文明9年(1477)、一色時家の重臣となっていた波多野全慶が挙兵、時家を討ち、一色城主となった。
明応2年(1493)、瀬木城主:牧野成時に攻められ、落城。牧野成時は瀬木城を次男の新次郎成勝に譲り、自らは一色城に入った。その後牧野成時は勢力を拡大し、永正2年(1505)には吉田城を築いて東三河を代表する国人に成長した。しかし、翌年に今川氏との争いで牧野成時は討死し、息子の牧野成勝が一色城主となった。
享禄2年(1529)、一色城主の牧野成勝は吉田城主に返り咲いた牧野信成の命を受けて牛久保城を築き、永禄13年(1570)に一色城は廃城となった。
現地を訪問しましたが、現在、一色城の遺構として明確なものは残っておらず、今川義元公の墓所がある大聖寺の西北角に土塁の一部と伝わる土盛がありました。
2021年04月03日 龍馬備中守【】
愛知県の豊川市にある一色城☆牛久保城と同台地上の近い位置関係で城郭は存在していました☆
一色城は関東公方・足利持氏の家臣である一色刑部少輔時家によって築かれたと伝わる城郭です☆一色時家は【永享の乱】で関東管領・上杉憲実の討伐に参加するも敗れてしまい☆同族である三河守護・一色氏を頼って三河へ逃れました☆その時に築いたのがここ一色城となります☆時は流れ…一色時家を討った家臣の波多野全慶が城主になりますが、波多野全慶もまた同じく一色時家の家臣であった牧野古白に討たれます☆牧野古白はその後、吉田城を築いて居城を移住して行く為に牧野成勝が城主となるも牧野成勝は牛久保城を築くと廃城となりました☆現在の城跡には大聖寺があり境内には一色時家の墓、今川義元の胴塚とされる墓所が残ってます☆