神宮寺城
神宮寺城([吉崎御坊 周辺城郭])
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神宮寺城の口コミ情報
2023年10月25日 RED副将軍
詳細不明ながらも戦国期の技巧的な縄張りが残る城跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不詳。春日神社の別当神宮寺に由来するとされます。
堀江氏一族の細呂木氏が築いた詰め城で、1337年に新田義貞の重臣で新田四天王の一人に数えられる畑時能が、北朝方で守護大名の斯波高経の争った際に利用されたものと考えられています。また、畑時能は細呂木城を守り、家臣の細屋右馬助に築かせたとされる川口城に比定もされています。
しかし、縄張りは南北朝時代のものではない複雑なものであり、戦国時代には朝倉氏が加賀一向一揆に備えて改修をした様です。
1573年に朝倉氏が滅亡した後は、一向一揆衆の織田信長に対する拠点となりましたが、1576年に織田信長勢の侵攻により落城したとされます。
見所
春日神社西側の標高40mほどの丘陵上に築かれています。
登城路を進むと両サイドに広い平段が続いており、神宮寺の坊跡とされます。奥の広い平坦地が本堂跡でその背後の尾根上が城跡となります。
南北に伸びる尾根上の最高所に主郭を配し、南の尾根上に郭が連なります。
主郭西側は空堀が巡り、本堂からの動線として土橋が架かり馬出し状の小郭に連結しています。
主郭の北側下に竪堀が三条あり、南側は二郭、三郭と連なりますが堀切で遮断されています。
戦国時代の技巧的な縄張りが面白いですが、散策道を歩きやすく整備するために土塁が削られ、土橋も不自然に固められているなどのかなり改変を受けている様に感じました。岐阜県や群馬県の様に遺構を残しつつ整備をして欲しいもので残念な気持ちになりました。
2022年05月23日 しぇるふぁ加賀守
2021年(令和3年)3月付であわら市史跡に登録されたごく新しい城郭スポットです。あわら市公式サイトの紹介文によると、戦国時代に築城された山城で、大きさは東西約270m、南北約250mあります。これは、あわら市、坂井市の山城の中では最大規模です。城の用途については、兵士が常駐する「詰城」と考えられ、加賀一向一揆に対する最前線の重要拠点として、使用されていたと推定されています。
また南方向の細呂木方面には、太平記に登場する城で同じくあわら市史跡に登録されている川口城跡があります。