阿島陣屋

阿島陣屋([飯田城  寺社・史跡])

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阿島陣屋の口コミ情報

2024年10月27日 ほりーないと


関ヶ原の戦いに知久則直は徳川家康の小姓組として出陣。その翌年、慶長6年(1601)に旧領の一部三千石を安堵され阿島に陣屋を築きました。

嘉永元年(1848)に造営された二階建の茶室「曙月庵(しょげつあん)」が当初位置に残っています。県内唯一残る武家の茶室です。喬木村役場に予約をすると有料で貸し切ることができます。毎年10月に伝統工芸「阿島傘」展示が開催され、その期間中に無料見学できます。
県道18号の信号「阿島」~「曙月庵」の坂道は"城坂"と呼ばれ、江戸時代初期の石垣が残っています。地域おこし協力隊の方が作成した阿島陣屋の昔と今のマップが曙月庵にあります。個人の感想ですが、昔と今では大きく変わっています。

知久氏の由来
発祥は、諏訪明神の橘大祝氏から分かれた神族といわれ、伊那郡南小河内(上伊那郡箕輪町)にあって在地の名(知久沢山・知久沢川)をとって知久氏と称した。承久の乱(1221年)の直後、知久平(飯田市下久堅)に移住したといわれる。
(喬木村歴史民俗資料館パンフレットより)

戦国時代、知久頼元は武田軍と戦って敗北したことが知られています。その後、頼元の子・頼氏らは徳川家に身を寄せ、旧領に復帰しました。ところが…菅沼定利の策略?により、頼氏は浜松城で自害、後見人は暗殺され…。頼氏の子・則直は徳川家臣・大久保忠世のもとへ逃れました。関ヶ原の戦い…再度復帰して阿島陣屋を築きました。

先日、山梨県甲州市「雲峰寺」へ行き、宝物殿の武田軍旗などを見学させていただきました。この軍旗を見たら戦わず逃げ出したくなります。逃げ出さずに戦った知久氏はすごいと思いました。その挑む力が親から子へ受け継がれて、二度の復帰に繋がったのかもしれません。

※写真は阿島傘の展示の際に撮影しました。知久氏は領内に傘作りに必要な材料がほぼ揃っていることに目をつけ、地場産業として広められました。

2021年10月24日 ほりーないと


【阿島陣屋】
関ヶ原の戦の翌年、知久則直は旧領地の一部を安堵され阿島に陣屋を築きました。以来明治維新まで知久氏の本拠となりました。

【曙月庵】
知久陣屋御殿茶室。1848年に造営されたもので、茶室としては類い希な二階建てであり、当初位置に残り明治以降の改造が少ない等、貴重な建造物です。(パンフレットより)
一般公開はされていませんが、予約をすれば見学ができます。有料でお茶会などの利用ができます。

【阿島傘】
知久氏が預かった「波合関所」で旅人が倒れて関守が看病したところ、謝礼に和傘の製法を伝えたそうです。知久氏は和傘に必要な材料が領内でほぼ揃っている事に目をつけ、この地域の地場産業として広められました。
現在、阿島傘は陣屋のある喬木村の特産品となっています。地域おこしイベントとして曙月庵で展示会が開催されています。

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