松岡城(松岡本城)
松岡城(松岡本城)([飯田城 周辺城郭])
飯田城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「松岡城(松岡本城)」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
松岡城(松岡本城)の口コミ情報
2024年05月05日 RED副将軍
南信の有力国人である松岡氏の本拠地🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。南北朝時代に松岡氏により築かれたその居城です。
松岡氏は、1062年に前九年の役で敗れた安倍貞任の次男である仙千代が市田郷牛牧村へ落ち延び、その後に地頭となり松岡貞則と称したのが始まりとされます。
当初は北西に600mほどにある松岡古城を居城としていましたが、南北朝時代に松岡城を築いて移ったとされます。
1554年に武田信玄が伊那に侵攻。周辺の小笠原氏の鈴岡城や知久氏の神之峯城などが相次いで落城すると、松岡氏は武田氏に従属します。
1582年に織田信長が信濃へ侵攻。武田氏の拠点である大島城や高遠城を落とし、武田氏は滅亡。
すると松岡氏は織田信長に帰順し本領を安堵。飯田城に入城した織田信長家臣の毛利秀頼に従いました。しかし直後に織田信長が本能寺の変で没すると、伊那は徳川家康の勢力下となります。
徳川家康と豊臣秀吉の覇権争いの中で、小笠原貞慶は徳川方から豊臣方へと翻意。松岡貞利も小笠原貞慶に与し、徳川方の高遠城に攻め寄せるも形勢不利とみて退却。小笠原貞慶は大敗し、1588年に松岡貞利は改易となり所領は没収。松岡城は廃城となりました。
見所
天竜川西岸の標高560mの河岸段丘突端に築かれています。
松源寺から南東へ伸びた舌状の段丘上に第一から第五の空堀で区画された五郭で構成されている連郭式です。
大半が耕作地となっていますが、堀跡は概ね現存しており、段丘先端から連なる本曲輪・二の曲輪・三の曲輪・惣構がはっきりと残っています。
大手の北西には三日月堀があったとされます。
本曲輪の南側下にも堀切と山麓虎口が残っています。
行き方は、松源寺を目標に設定。駐車場も完備されており遊歩道が整備されています。
2023年10月28日 気分爽快豊後守
舌状の台地に直列に郭が配置され、各々の郭は堀で区切られています。個々の堀に個性があり、なかなか面白い城です。
①一の堀
②二の堀
③三の堀
④四の堀
⑤五の堀
⑥主郭横の堀
⑦土塁越しの主郭
⑧鯉が泳ぐ主郭
2021年07月17日 ほりーないと
【松岡城】
天竜川の河岸段丘を利用して築城された城。舌状の段丘先端から本曲輪、二の曲輪、三の曲輪と作られています。城内の大部分が開墾されて田畑となっていますが、深く掘られた数条の掘跡は概ね現存しています。
写真1 二の掘
写真2 一の掘
写真3 山麓虎口
写真4 東側斜面にある横掘
【松源寺と井伊家】
松岡城の五の曲輪にある寺。松岡氏によって建立された。今川氏に追われた井伊直親(井伊直政の実父)が12年間にわたって匿われた。その時に代官の娘と間に1男1女を儲けたとされ、その子孫が江戸時代に飯田城下町へ移住し、飯田井伊家として現在まで継続しています。
写真5 本曲輪からの眺め(浜松方面を望む)
2021年04月05日 【城郭道】たっきー
【松岡城の歴史】
松岡城が作られたのは南北朝時代で敵の攻撃を防ぐことが大きな役割であったため、階段状の地形(河岸段丘)を活かして作られた。
堀、土塁等で作られ、土の城として機能し、戦国時代まで整備された。
【松岡氏】
平安時代に松岡氏が始まったという。今の高森町あたりを自治。南北朝時代に松岡城を作り、拠点としていたが、戦国時代終わり頃に徳川家康によって改易された。
【亀之丞(井伊直親)】
井伊直政の父である亀之丞は九歳の時に命を狙われ、井伊氏に関わりがあった松源寺に逃れ、10年の時を過ごした。
(大河ドラマでも紹介されていたような気がします。)
2021年04月04日 能登守さとみっくす
なかなか綺麗な城。この辺りに来たならば行くべき城。また、松岡城に行ったらすぐそこの松岡古城にも行くべき。
2021年04月04日 【城郭道】たっきー
雨の中、松岡城に行きました。雨でも十分楽しめる城。
五の曲輪の駐車場から四の曲輪へ行き、三の曲輪に入る前の三の堀がもう迫力です。もういきなりやられますね。それでもなんとか三の曲輪に入り、二の曲輪へ入ろうとするとおそらく城内で最も深い堀に出逢います。この堀には入れるようになってますね。
二の曲輪は松岡開祖五百年碑があります。次の本曲輪は堀に続いて土塁もあります。土橋の左の土塁には出構があります。土橋への横矢が効いてますね。本曲輪は入ると結構広いです。一番奥に松岡城の石碑があります。景色が雨だったので雲が山にかかって綺麗でした。本曲輪から下は帯曲輪が連なっています。時間がなかったので帯曲輪の説明板があるところから引き返して本曲輪の下(犬走のようなところ)を通って二の曲輪に行きました。詳しくは駐車場付近に置いてあるパンフレットを見てください。
なかなか良い城でした。3000城の中に入ってないのが惜しいくらいです。日本にはこんな感じに3000城に入ってなくても良い城はあるので是非、自分で調べて3000城以外の城へも行ってみてください。
2020年11月02日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
とにかくすごい!案内してくれた南信のお友達にただただ感謝。帯曲輪より下までいかなければ足腰の丈夫でない方でも十分楽しめます。これで未登録とは勿体ないと思います。
写真は二の堀、本丸下帯曲輪などですが、規模の割には短時間で楽しめるからオススメです。