笹岡城
笹岡城([長場館 周辺城郭])
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笹岡城の口コミ情報
2020年12月01日 +かず
笹岡城は新潟県阿賀野市笹岡字笹野山(旧笹神村)にあった南北朝時代の城跡で市の史跡として指定されてます。
構造は本丸 ニノ丸 三ノ丸 中ノ丸 西ノ丸 南郭 東郭 船溜からなる平山城で本丸搦手から船溜は切岸により他郭は堀切によって分断されている。
築城は貞和年間(1350年頃)南朝に仕えた篠岡中将資尚がここに城をかまえ名声と人望があったという説と和田太郎義盛の子 三郎五郎兵衛義茂の子がはじめて中条郷の地頭となり その居城であったともいう説がある。
越後全土に戦火が及んだ応永の乱(1423年〜1425年)に際しては奥山荘の中条房資が一時期ここに派兵し籠城した。
享禄 天文 弘治年間(1530年〜1560年頃)は山浦源吾国清(村上義清嫡子。女系だが上杉重房の血を引いていたので上杉謙信公養女を娶り当時断絶していた山浦上杉家を継ぐ。上杉一門衆)の居城であったが上杉景勝公の家臣 今井源右衛門国広が御館の乱(1578年)の功績によって魚沼上郷城より転封され酒井新左衛門と黒金宮内の2人がまもっていた。
その後 新発田合戦(1582年〜1586年)に際しては東方山側の街道をまもる鉢盛城とともに新発田城攻撃の前線基地として重要な役割を果たしていたが天正13年(1585年)五十公野治長(のちの新発田重家)に攻められ落城。その後は城主なく廃城となる。
写真は…
・城跡公園案内板
・笹岡城入口塔
・本丸南西側土塁(現在稲荷神社)
・中ノ丸から本丸への虎口
・ニノ丸(低い土塁に沿って三十三観音様鎮座)
・西ノ丸(愛宕神社)から本丸への虎口
・本丸とニノ丸を隔てる空壕
・本丸搦手門と舟繋ぎの目印 天然記念物十郎杉
現在 城山公園になっている本丸搦手門付近にあわせて位置登録しました。駐車場も有り遺構もそれなりに残ってます。長場館は遺構消滅し田園風景のみですので気分転換に少し足を伸ばして頂きたく思います。